コミュニケーションの取り方

よく取り上げられるコミュニケーションについてですが、私なりに感じたことを述べさせて下さい。

「どのように聞くかに注意を払いなさい」。イエスキリストは、かつて、このように教えてたと、福音書の中で取り上げられています。聞き方に注意を払うということです。

この言葉の中に、コミュニケーションの真髄が隠されているような気がします。

よく、一人が一方的に話し、また、次に相手が一方的に話すのを聞く、と言う場面を目にしたことがありませんか?実は、そのスタイルは、一番、悪いコミュニケーションの取り方です。

断言して言います。「うん、うん」と、言いながらずーっと聞いている人は、聞いているふりをしているだけのことが多いのです。むしろその人は、自分が話す番になると、水を得た魚のように、とうとうと話し始めます。つまり、お互いに、自分がどう話すかに関心があるのです。ですから、相手が話す間、自分がどのように話すか、頭の中で考えているのです。そのような人は、相手の話に注意を払っていません。

イエスは、どのように話すかに注意を払いなさい。とは、言いませんでした。どのように聞くかに注意を払え!と、言ってるのです。

よいコミュニケーションの取り方は、キャッチボールにたとえられます。先日、ある講習会でコミュニケーションの取り方を学んだとき、テニスボールを二人の人が一個ずつもって、お互いに同時に、ボールを受け渡すキャッチボールをしました。最初、10回も続かなかったのですが、講師の方が、アドバイスをくれました。

それは、「受けることに注意を払って相手にボールを下から投げてください。」というものでした。

すると、うまくいったのです。15回くらい、なんなくいきました。

すると、講師の方が、「これが、コミュニケーションです。」と、言いました。
つまり、相手の話を受けることを注意を払いながら、こちらから話をするようにしていれば、コミュニケーションがうまくいくのです。しかも、キャッチボールのように、お互いの息を合わせながらだと、気持ちが通じ合って、話が盛り上がっていくのです。

ぜひとも、コミュニケーションを取りたい方とは、そうしてください。しかし、注意を一つ。

コミュニケーションの取り方が上手な方は、人から好かれますから、いやな人からも好かれる可能性もありますので、ストーカー行為の被害を受けても私は責任を負えませんから!

あしからず・・・

2018年11月12日

ものさし

人は、物事を測る「ものさし」と言うものを持っている。その「ものさし」の中で、一番初歩的な段階にあるものが、「好き」か「嫌い」、ではないだろうか?物事を好き嫌いで判断する人は確かに多い。しかし、ここで少し、考えていただきたい。

果たして、好き嫌いだけで物事を見てよいのであろうか?

例えば、テニスプレーヤーの錦織圭に「あなたは、テニスが好きですか?」とか、大リーガーのイチローに「あなたは、ベースボールが好きですか?」などと、聞くだろうか?馬鹿にされるに違いない。「オーマイゴッド」である。そんなのあたりまえ、あたり前田のクラッカーである。

かく言う私も、昔、パソコンを教えていたころ、生徒から言われたことがあった。「先生、先生は、パソコンが好きで好きでたまらないでしょう?」と・・・思わず、苦笑いしてしまった。そんなレベルで、仕事にしているわけじゃないよ。・・・そんなのあたりまえで、それ以上のことを考えて仕事をしているのに・・・質問すること自体、ナンセンス・・・

もっと、より高いレベルで仕事をしようとする人は、「好き嫌い」なんて初歩的な段階で、その仕事を通して、「自分がどうなりたいのか、どうありたいのか」ばかり考えているのだと思う。私も、自分の仕事を通して、なりたい自分、ありたい自分のことばかり考えている。

社長は、文章を書くのが好きだもんね・・・と、よく言われる。確かにそうかもしれない。しかし、その文章を通して、自分がどうなりたいのか、どうありたいのか、ばかりを考えている。また、読者にメッセージを投げかける場合、そのメッセージに刺激を受けて、読者がどうなっていくのか興味がある。

だから、仕事をしながら、「どうなりたいのか、どうありたいのか」はっきりしない人がいると、・・・「何考えているんだろうな?」・・・と、思ってしまう。

家の大きさを測るのに、10センチのものさしで、長さを測る人はいない。

机の上で、図画工作をする場合、10メートルのスケールを使う人もいない。

自分がどんなものさしを持っていて、どのように測っているのか・・・

一つだけ言えることがある。

人生の大切なことを測ることは、「好き」「嫌い」だけで物事を測ることはできないものである・・・ということだ。

2018年11月10日

神無月のころ

旧暦10月は、『神無月』と呼ばれる。この月のことがなぜ『神がいない月』と言われるかと言えば、日本中の神様が、出雲の地へ旅立つがゆえに、それぞれの土地の神様がいなくなるからだそうな。よって、出雲の地は、旧暦10月を『神有月』と呼ぶそうな。

日本中の神様が、この出雲の地に結集して会議を開くのだそうな。

『なんの会議を開いてるんだろうな?』

聞くところによると、これから誰を幸せにするか?ということを相計っているんだそうです・・・

『へぇー、神様って、そんな愛情深いの?』 『知らなかった・・・』

私は、素直にそう思ったのだが、疑い深い君は、『何を言ってるの?ばかばかしい』と返すでしょうか?

じゃぁ、お聞きしますが、神様が集まりあって、これから一年、日本のどこそこに台風や地震などの災害をもたらそう・・・なんて話し合っているならば、あなたは、神社に参拝したいですか?

物騒な話ですよね・・・それよりも、『誰かを幸せにすることを話し合っている』・・・と言うほうが、素敵じゃないですか?

神様を参拝したくなりますよね・・・あのぅ、私は別に、神社からの回し者ではありません。とりあえず・・・言っておきます。

もう、11月にはいります。11月は、旧暦だと『霜月』と呼ぶそうです。霜が降り始める月ですね。寒くなってきます。お体には気を付けましょう。

月霜より

 

2018年10月31日

つもりつもりのはずが・・・

やってるつもり・・・確認したつもり・・・

つもりつもりが積もって、なにもやっていない自分が出来上がる・・・
架空の自分・・・虚像の自分・・・

そんな自分に向き合ってみる・・・

そうすると、こんな言葉がつぶやいてくる・・・
あの時、こうすればよかった・・・ああすればよかった・・・

80歳以上の高齢者施設に入っているおじいさん、おばあさんにある人が聞いた。

「もう一度、人生をやり直すなら、どんな人生を送りたいですか?」

それに対して、多くの老人がこう答える。

「自分のしたいことをチャレンジしてみたい。」
「他の誰が何と言おうと、自分がこうだ!と、思ったことをやってみたい」

やればよかったのに・・・

チャンスと思った時が、最良の時である。
何事も、自分が最初にやる!と、決めたことはやってみることだ。
確かに、最初は、風当たりが厳しいかもしれない。
しかし、それを、そよ風が自分の頬を撫でてくれたくらいに思わないと、何も成し遂げることは出来ないだろう。

よく、チャンスの女神は、前髪しかないと聞く。チャンスの女神が去っていくときに、それを掴もうとしても、つかめないらしい。あとから、振り返ってみても、あの時がチャンスだったと言う人は、いくらでもいる。でも、そんな人の話は、魅力がない。

自分が魅力ある人間になろうとするなら、チャンスをつかむことだ。リスクを考えてばかりいて、何もできない人間を誰が相手にするものか・・・

2018年10月25日

気持ちの問題

『これが正論だ』と言われても、気持ちがついていけないと、感じたことはありませんか?

いきなり、すみません。最近あったことで、やっぱりエッセイに書いておいたほうがいいかなって思いまして、今回、取り上げています。

人は、理性と感情とぶつかり合うときに、やはり感情のほうが強いことがあります。

だって、人間の歴史を見ても、戦争が起きてきたことは、大義名分があったとしても、やはり感情論でしょう。国民の感情が高ぶらなければ、戦争は起きないと言われています。アメリカが日本と戦ったのも、真珠湾攻撃と言う出来事があって、アメリカ国民の感情が高ぶったからでしょう。別の識者から言わせると、アメリカは日本が真珠湾を攻撃するように仕向けた、ともいわれています。まぁ、そのことは、私にとっては過去の歴史の事実ですから、いろいろ言う立場にありません。一人のエッセイストですから。

ただ、感情のほうが人を動かす力が大きいということを知っていることは大事だと思います。どんなに会社の社長がいろいろと仕事の指示をしても、たとえ、どんなに彼氏、彼女が『自分はこうだから』と言っても、気持ちがついていけないことには、行動を合わせられないことにつながります。

仕事の場合は、仕方なくやってる場合もあるでしょうが、友達関係、恋愛関係、などが関係してくると、無理して合わせていると、後から大げんかになることもあるでしょう。だから、コミュニケーションが必要になってきます。相手がわかっていると、思い込まないことです。相手がわかっているというよりも、相手が合わせてくれていると、考えたほうが良いのです。

そんなに、あなたのことをわかっている人がどれだけいますか?わかっている人がいるなら、それまでの時間、コミュニケーションをしっかりと取ってきたからでしょう。そのことを忘れないようにしましょう。自分は、最初会った時からその人のことが何でもわかるなんて、思わないことです。それは、その人がうぬぼれているだけです。

だから、勘違いしないようにしましょう。感情が理性について来るようにするためには、コミニケーションが必要だってことを・・・

そして、時間がかかるってことも・・・

2018年10月15日

恋愛論

 

韓国生まれのジョンキムという人は、『来世でも読みたい恋愛論』という本の中で、恋愛について、次のように語っています。老若男女を問わず、役立つものだと思いますので、掲載させていただきます。

 人を愛するという行為は実体がつかめず複雑がゆえ、時に挫折を味わうもの。人を深く愛し、恋愛を成就させるには、まず、愛とは何かについて理解しておく必要があります。すると、心が満たされ、人生も豊かになるのです。

 ジョンキム著『来世でも読みたい恋愛論』から、いま知っておくべき愛の定義についてお伝えしましょう。

01.
愛とは創造である

愛は、対象と出会う前には存在しなかったものです。
愛は、人間が得られる最高の感情であり、それは、愛さなければ得られなかったという意味で、創造する行為であるとも言えます。

人が愛することで得られるのは、生きる喜び。それに勝る喜びが、この世にあるのでしょうか。結末がどうであれ、決して愛することを怖れないことが大切なのです。 

02.
愛とは魂の居場所

恋愛というのは、魂が休める場所であり、魂の傷を癒せる場所なのです。

恋愛の中では、自分という存在をありのまま肯定し、信頼と愛情で丸ごと包んでくれる相手がいることを感じます。たとえ世の中のみんなが自分のことを理解してくれなかったとしても、愛する恋人だけは自分の心の声に耳を傾け、理解してくれるはずなんだという「ある種の確信」が生まれ、それが絶対的な安心感につながっていくのです。

03.
愛とは、信頼することである

真の愛は、相手のことを信頼することにあります。たとえ裏切られたとしても、相手を信じ続けるという愛の盲目さは偉大なのかもしれません。究極的には、目に見える現実よりも、相手の言葉を信頼することが愛です。恋は信頼がなくても生まれますが、愛は信頼が必要になってきます。

04.
愛されるより愛する

愛されることばかり考える人は、人生が受動的になり、それがうまくいかなかったときに、被害者意識を持ってしまうものです。そうではなく、自ら人を愛することを中心に考える人は、人生が能動的になり、幸せに対する自身の制御能力も高まっていきます。

05.
相手の欠点まで
愛せるかどうかが重要

恋愛が本物になってくると、相手の欠点を短略的に美化したりせず、冷静なる理性を介在させて相手の欠点を確認し、それを補うために自分のできることを考え、行動できるようになります。それも喜びの気持ちを持って。

06.
成熟な愛は理由を必要としない

愛に、理由は不要。「なぜ愛しているのか」を問うのは愚問です。愛は存在に対するものであり、その存在に付随したり飾りに対するものであってはなりません。

自分が存在しているという事実だけで愛されているのだと実感したとき、人は無限なる喜びや生きる力を得ることになります。自然体として、自分らしく、生き生きと生きていけるようになります。

 

2018年10月7日

大空食堂

先日、仕事で天草方面に出かけた。朝11時ころに会社を出て、車を走らせる。1時間ほどすると、ちょうど、三角港辺りに着く。天草五橋の1号橋が新しくなっているのでそちらを渡ろうとしたが、よくよく考えてみると、もうおひるごはん時であるので、久しぶりに「大空食堂」に、寄ってみようかと思った。そうすると、旧1号橋を渡らなければならない。10月のその日は、天気が良くて、空は青空、龍の形をした雲が大きく張り出しているだけである。

「最高の天気だ!」と、つぶやきながら、港に車を止める。
「えーっと、どこだったかな?」
そう言いながら、港を歩く。100メートル程行ったところに、「大空食堂」の看板がデカデカと出ている。

「あったー、ここ、ここ!」
そう言いながらお店に入ると、お客さんがいっぱい!
カウンター席が1席だけ空いていたので、座れた。でも、あとから来た人たちは、入り口の外で、待ち状態になった。
「結構、流行っているなー」
そう思いながら、長崎ちゃんぽんを注文する。よく見ると、長崎ちゃんぽん800円と、なっている。

「ありゃ?10年ほど前に友達と来たときは、400円くらいだと思ったけれど・・・」と、心の中で叫ぶ!

ここのちゃんぽんは、具沢山で安いということで友達と一緒に来たのだった。
「確かに、今回も具沢山でおいしいちゃんぽんだったけど・・・」心の中で呟きながら、
「時代が変わってしまったのかな?・・・」

そう思いながら、会計を済ませて、本渡方面に車を走らせた・・・

2018年10月5日

強力な組織を作るには・・・

人生の先輩からとても為になる話を聞いた。それは、強力な組織を作るには、どうしたらよいか?と言うことである。要点となることをこれから、述べていこうと思う。

人は、一人で生きていくのは、大変なことである。まれに一人で何でも出来る人がいるが、ほとんどの人は、一人でできることは限られてしまう。それで、チームで動くことの必要性が取りざたされる。

チームプレイをする前に、認識しておかなければならないことがある。それは、一人一人を肯定することから始まる。人は、長所と短所がある。時々、間違える人がいるが、短所を直せば良いと、考える人だ。長所と短所は、裏表の関係にあり、表裏一体であるから、その人が出来ない短所を正そうとすることは無理が来る。短所を直そうとすれば、長所も目立たなくなるのだ。

具体的な例を示してみよう。短気な人がいる。しかし、その人は、決断力が早く、行動力があることが多い。つまり、短気さを直そうとすると、決断力、行動力までなくしてしまうのである。表裏一体とは、このことである。

組織の作り方を知っている人は、その辺りが上手である。チーム力のあるサッカーチームや、ラグビーチームは、一人の人がボールを持って突進している時に、それをサポートする人が必ずフォローに入る。それを、それを相互に行っているのである。

つまり、結論から言えば、各人の長所を伸ばして、弱点は、他の人がフォローすると言う関係を作ることである。

そのためには、監督の立場にいる人は、その人の長所と短所を見極め、常に、その人の長所を伸ばすように心がけることである。監督には、洞察力が求められる。そして、各人の短所は、チームの中の他の人がフォローするようにしていくのである。

そうした組織を作れば強い。各人の役割分担が出来て、弱点はチーム力で補うのである。そうした、会社組織を持てるようになれば、生産性が上がるだろう。

なるほど!

2018年9月25日

月夜に・・・

今年の十五夜は、9月24日である。十五夜は秋の美しい月を観賞しながら、秋の収穫に感謝をする行事で、「中秋の名月」と呼ばれている。旧暦では7月~9月が秋にあたり、初秋は台風や長雨が続くが、仲秋は秋晴れも多く空が澄んで月が美しく見える。日本では、中国から伝わった月見を取り入れ、平安貴族が月見の宴を催して風雅を楽しむようになったとされている。

また、「十三夜」と呼ばれる習慣がある。それは、旧暦9月13日のお月見のことで、旧暦8月15日の十五夜のあとに巡ってくる十三夜をさしている。2018年の十三夜は、10月21日(日)である。

十三夜は十五夜に次いで美しい月だといわれており、昔からとても大事にされている。どちらか一方しか月見をしないことを「片見月」「片月見」といい、縁起が悪いとも言われるらしい。

また、「十五夜」のお月見が中国伝来なのに対し、「十三夜」は日本で生まれた風習だといわれており、栗や豆の収穫祝いでもあるため、「栗名月」「豆名月」とも呼ばれる。お月見をする際は、月見だんご(13個または3個)、すすき、栗や豆などの収穫物を供えて楽しむものだそうだ。

もう一つ、「十日夜(とおかんや)」とは、旧暦10月10日に行われていた収穫祭のことをさしている。2018年の十日夜は、11月17日(土)です。ただ、十日夜は、稲刈りを終え田の神様を見送る行事でお月見がメインではないため、月齢に関係なく新暦の11月10日に実施する地方もある。

十日夜には、田の神様の化身とされているかかしにお供えものをしたり、かかしと一緒にお月見をしたりする「かかしあげ」の風習がある。また、わらを束ねた「わら鉄砲」や「わらづと」で子どもたちが地面を叩いて作物を荒らすモグラなどを追い払い、土地の神様を励ますなど、地域によってさまざまな行事があるようだ。

このように、月に関する風習は、日本人の生活に欠かせないものとなっていた。

日本人の心を取り戻すために、もう一度、夜空の「月」を眺めてみませんか?

2018年9月22日

”話す”と言うことについて・・・

「気持ちを話す」と言うのは、人にとって非常に大切なことである。いろいろとストレスを抱える現代社会で自分の信頼する人に心を打ち明けることは、ストレス解消になる。確かに、心のうちにあることを話すことは大切なことである。

人に相談することが苦手な人でも、神様やご先祖様に祈る人もいるだろう。神、仏に話しかけることによって、自分のうちにあるもやもやを解消する人もいるだろう。

要は、”話す”と言うことは、”離す”、”放つ”、と言うことにつながっているような気がしてならないのである。

日本語というものは、不思議なもので、言葉自体に力を持っている。だから、”話す”と言う言葉が、その人のストレスを開放し、悩みや苦しみから離してくれるのだ。”話す”と言う行為は、その人のエネルギーを外に放出しているのである。

だからこそ、自分が出しているエネルギーが、人のためになっているかどうか、絶えずチェックしておくことが必要だろう。

あの人といると心が和む、とか、あの人といると、温かい優しい気持ちになれるという人がいる。その人の出しているエネルギーがそうさせているのだろう。

そうであれば、私たち各人が、周りの人にどんな影響をもたらしているのか、考えてみることが出来るだろう。

”話す”と言う言葉を考えた時に、日本語の不思議さ、素晴らしさについて、考えてみた・・・

2018年9月17日