感動から始まって理動で安定する

物事の始まりとして、感動で始まることは多い。人と人のつながりや物事に対して、感動して何かを始めると言うケースはよく聞くことだ。これは、人が経験する基本的な事である。しかしながら、「理動」と言う言葉を聞いたことがあるだろうか?

私も以前は、「感動と言う言葉はあっても、理動と言う言葉はない」と、思っていた。ただ、それは単なる思い過ごしだったのである。実は、「理動」と言う言葉は存在している。

ネットを調べると、次のような言葉が出てくる。

……「知動」「理動」「感動」という言葉があります。 「知動」とは知識に基づいて行動すること、「理動」とは理屈に基づいて行動すること、「感動」とは感情に基づいて行動することを意味します。 人は理性の動物とはいうものの、意識的に行動しなければ「知動」や「理動」で動くものではなく、「感動」で動くものといわれています。……

となっている。

確かに、理屈に従っていつも動ける人は少ない。たいていの人は、感情に従って行動する。だからと言って、理動が存在しないわけではない。では、どんな場合に、理動は必要になってくるのであろうか?

それは、組織が拡大化していくとき、あるいは、知的レベルがより高い所が要求される仕事をしていくときである。

個人や、小さなグループでは、感情が支配するかもしれない。そして、感動によって大きなことを成し遂げていく。しかし、大きな組織や、知的な仕事を中心とするグループでは、感動によって仕事をすることは当たり前のことであり、それ以上に、知的な部分、すなわち「理動」によって動くことが大切なのである。そうすることで、それぞれの役割や持ち場を認識し、全体として大きなことを成し遂げていくのである。

そう、感動から始まって理動で安定するのである。

2020年9月1日