季節の変わり目

9月に入って、急速に気候が変化している。8月までは、毎日30度以上の暑い日々が続いていた。しかしながら、9月に入って、急速に変化が起きている。10度以上気温が低下して、9月14日現在、めっきり秋らしくなってきた。本当に、驚くほどの季節の変化である。

二十四節季と言う言葉を聞いたことがあるだろうか?一年の暦を二十四の区分に分けて、季節の移り変わり目を示したものである。まもなく、9月も秋分の日を迎えようとしている。太陽の昼間と夜間がちょうど12時間ずつ分かれる日であり、毎年9月23日くらいになる。この秋分の日を過ぎると、一気に冬に向かって、季節が移り変わっていく。

 秋の日は釣瓶(つるべ)落としともいわれている。秋分の日を超えると、日がどんどん短くなっていく実感がする 。1年の終わりがあっという間に、来てしまう感じである。

この時期に、あなたは何を感じるだろうか?熊本の祭りで、藤崎宮の秋の例大祭が開かれる。この祭りが終わると、急速に秋の景色で彩られるようになる。

この時期、あなたは何を実感するだろうか?一年の終わりが早いなーと感じるか?・・・もう一年が過ぎようとしている。今年一年、何をしてきたのだろうか?何を成し遂げたのだろうか?

ただ、毎日のあわただしさの中で生活するのであれば、歳を重ねるだけの人生で終わってしまう。しかし、この時期に、よくよく考えて頂きたいのは、自分が、何のために生きて来たのか?どうなりたいのか?なりたい自分の目標は、何なのか?そのあたりを、しっかりと考えなければ、もったいない人生になってしまうだろう。

秋の月を眺めながら、自分と向き合ってみることはよいことである。中秋の名月を愛でながら、鈴虫やコウロギの鳴く中、昔の人たちは、お酒を交わしたり、団子を食べながら、自分の人生について考えたのだろう。

現代の私たちは、そうした風情のある環境にはないかもしれないが、季節の移り変わりが早い中、自分を見つめなおすのがよいのかもしれない。

2018年9月14日

一富士二鷹三茄子

昨日、江の電に乗った。息子とふたり、弥次喜多道中になったのだが、当初一日券を買って、あちこち散策してみるつもりだったのだが、実際は、鎌倉から江ノ島までの往復になってしまった。さすがに、八月の夏休み最後の週末とあって、家族連れでごった返して、ゆっくり車窓から景色を見ている暇はない。しかたがないので、江ノ島で降りて、江ノ島神社に参拝に行くことにした。

江の電を降りて、歩き始める。昼間の12時だいだから、暑い!くそ暑いのだ!はー、たまらんなー、このくそ暑さは!と、私が言うと、じゃあ、バスに乗って、江の島神社に行こうというので、はぁはぁ言いながら、バス停に行った。あれっ、もう出たあとだよ!と、時刻表を見ながら、次は40分も先だぞ、どうする?なんて、話をしていたらバスがやって来た!えっ、遅れてたんか?そのバスは、教習車となっていたので、新人さんが運転をしていたのである。あー、だから、遅れてきたのか!納得!ということで、江ノ島まで、バスで移動する!

途中、海岸沿いを見たがら、サーフィンをしている人や泳いでいる人などを沢山みながら、江ノ島に着く。暑いので、かき氷でもたべたいのだが、ここでたべると、あとが持たない!そう考えながら、江ノ島の山頂を目指す。しかし、ここからが、弥次喜多道中なのだ。息子が参道とは反対側の東側の道を行こうと言うので、老いては子に従えと言うことわざがあるから、狭い路地裏みたいなところを進んでいった。おい、こりゃ、山の上まで行けるんか?うーん、行けると思うよ!と、親子の会話、昭和の町並みのような木造の家ばかりの路地裏を紆余曲折しながら、階段を何度も登っていく。

江ノ島神社に登って、参拝を済ませると、頂上の展望所で景色を眺める。なかなかの景色で太平洋の向こうまで海が続いているのがわかる。そうした中、結構人が並んでいる所があったので聞いてみた。すると たこせんべい なるものが売ってある。その場でタコを焼いてせんべいにするのである。
タコせんべい
けっこう美味しかった!

小一時間ほどしたので、下山しかけた時のことである。空に鷹が旋回しながら飛んでいるのであるカッコいい!力強い羽ばたきで迫力がある!息子と一緒に来ていたので、感心しきりだった!
夕方スパに入って、プールで楽しんだりしたあと、展望レストランで食事をした時のことである。ウェイトレスが来て窓のブラインドをあげた。どうしたのかな?と思っていると、夕日が富士山にかかって沈んでいく様子を眺めるように促すのだ!

キレイな夕日だなーと、思っていると、
そう言えば、富士山と、鷹、 あっ!あと、なすびが揃えば、幸運の印が三つ揃うぞ! ということで、そのあとが大変!
帰るまでにナスビ探しである!ナスビ、ナスビ、ナスビ、なすびはどこだ!と、辺りをキョロキョロしながら帰ったのである。
なすび
おかげで、ホテルに着く前にナスビの入った漬け物を買って帰ることができた!
きっと、良いことがあるぞ!

一富士二鷹三茄子

2018年9月3日

赤とんぼ

秋茜(あきあかね)をGoo辞書で調べてみると、次のように書かれている。
日本で最もよくみられるトンボ。体長約4センチ、黄褐色で、雄は成熟すると赤色になる。初夏に山地へ行き、秋になると平地に群れて帰る。あかとんぼ。

今朝、会社に来る前に比較的に広い空き地で赤とんぼが飛んでいるのをたくさん見た。夏の暑い時期に山のほうで生きていた赤とんぼが、平地に降りてきているのである。我々人間がまだまだ暑いと思っていても、自然界は季節に敏感で、いち早く秋の訪れを受け止めている。

8月が終わると、1年のうち、3分の2が過ぎたことになる。早いものである。

時間のたつのが早いと感じている人は、時間と共に、自分がどれほど成長しているのだろうか?と、考えてみると良い。時間は経過し、時代は流れていくのに、変わらない自分と、変わっていく自分があってよいのだと思う。

変わらない自分とは、自分が志を持って取り組んだ仕事や、成し遂げたいと思って頑張っている目標があることなど・・・かな?

変わっていく自分とは、我が強かった自分の性格が、人間関係の経験や技術の習得などで丸みを帯びていくことである。

角が立った石ころは、見方によっては、カッコいい。熊本弁で、むしゃんよか!というものだ。しかし、その石と接触するとケガをするのである。いつまでたっても、カッコばかり付けていては、接触する人がケガをする。男にしても女にしても、カッコばかりつけていては、周りに迷惑をかけていることがわからない人になってしまう。

逆に、丸みがある石は、近づいて接しても、けっして怪我はしない。むしろ、安心である。人間も年齢と共に、角が取れるようであってほしいものだ。

2018年8月21日

酷暑から残暑へ

お盆の休暇も過ぎて、8月の後半に入った。8月前半は酷暑だったのが、ここにきて、残暑の季節に変わっている。会社に届くはがきは、暑中見舞いから残暑見舞いへと変わってきた。最近感じることだが、夏の暑い日の午後に夕立があると、季節は夏の終わりへと進んでいるようだ。

まだまだ暑いと言われる方もおられるとは思うが、そうした微妙な季節の移り変わりを感じる心を持つことが、我々日本人として大切なことではなかろうか?

我々のご先祖様は、この夏の時期を出来るだけ涼しく過ごそうと、いろいろな工夫をされてきた。軒先に風鈴をつけ、外からのわずかな風を心地よく感じるようにしたり、玄関の前などに打ち水をして、涼をとる風習の民家もある。

50年ほど前のことであるが、夏の暑い時期に、10人くらいのごぜさんたちのグループが近所に来て、私の母が休憩所として、部屋を貸したことがあった。小一時間だったろうが、弁当を食べながら、静かに休んでいた。当時の私は、子どもだったので、ごぜさんたちのことがわからずに、いろいろ話しかけていたと思う。でも、あんまり答えてくれないので、不思議な感じをしていた。大人になって、目の見えない旅芸人だったということを知った。

また別の時に、本妙寺の石段を登っていたとき、白装束の人たちがたくさんいたので、子どもながらに関心を示して、話しかけたことがあった。その時、母が口に人差し指を立てて、話しかけたらだめだよ、と言った。私がなんどもある年配のおじさんに話しかけるので、そのおじさんは、困った顔をしながら、「ボク、話しかけたらだめだよ」と言われた。その人たちは、ライ病患者だったのである。

いろいろな状況の人が、この世にいて、精一杯生きているのだ・・・と言うことを子どもながらに感じた出来事だった。

夏の暑い時期になると、そうした経験がよみがえってくる・・・

 

2018年8月16日

北風と太陽

この暑い中で、「北風と太陽」ですか???と、お叱りを受けそうなタイトルである。しかし、この夏の暑い時期こそ、気を付けなければならない点がある。頭が、ボーっとして切り替えが聞かないうちに、仕事の成果だけを気にして、キリっキリっとした対応で周りの人に自分は仕事が出来るんだと、知らないうちに自己主張している人がいる。

それは、それでよいのかもしれないが、何のために仕事をしているのかという目的をもう一度、確認してほしい。その目的があって、目標を設定するのである。目的は、ほとんどの人が、自分が幸せであり、その中で仕事をしていきたいと思っているのである。目標は、目的に達するための里程標である。

しかし、北風のように冷たい人は、目標第一主義者になろうとする。自分が嫌われ者になってもいい、それで、社員がわかってくれるのであれば、それが会社の為になるのならば・・・と言う考えの人もいるだろう。しかし、北風のようになってはいけない。

会社の前に、「人」である!人として、仕事に誇りを持ち、幸せを生み出す言動を心がけることが、すべての人に求められているのである。そういう人が、結果として、会社に貢献しているのである。会社の経営者であろうと、役員であろうと、関係はない。周りの人を尊重し、たとえ自分より若くて、経験が少なかろうと、語る言葉には気を付けなければならない。

マンガの神様と言われた、「手塚治虫」氏は、自分より若い漫画家の人には、必ず、〇〇さんと呼びかけて、相手に敬意を払っていたそうである。

心地よい空間を作りだすこと・・・それが、その人の器である。

2018年8月6日

牛乳に何を期待しますか?

最近、牛乳には栄養価が何も無いという人がいる。たんぱく質は、人間の栄養にならないし、カルシウムも吸収されないということらしい。一昔前まで栄養についての本には、牛乳を毎日一本は飲みましょう書かれていた。高度成長時代の団塊の世代の人達などは特にそうだ。牛乳をよく飲んだので背が伸びたと言う人もたくさんいたのに、あれは、いったい、何だったのだろうか?

牛乳にいったい、何を期待しているのだろうか?野菜の食物繊維などは、何も栄養が無いのに、胃腸の働きを良くすると言うことで重宝がられる。牛乳も人間のために栄養が無くとも、何かしら役に立っている点があるのではなかろうか?それを発見したら、人はまた、われもわれもと、牛乳を飲むのではなかろうか?

人間の知恵はいい加減なもので、人がこう言ったらこうで、ああ言ったらああで、。。。と言う具合にコロコロ変わる。特に、医師や教授など権威のある人が言うとややこしい。歯医者さんが言う、歯ブラシの使い方なども、過去、何回か変わってきた。

そんな、こんなで、人に期待ばかりして生きていると、ろくなことはない。自分がしっかりした考えを持ち、人に振り回されない生き方をしていけたらと思う。

そんなことを考えながらも、朝から、牛乳を飲んで一日を始める。

 

2018年7月25日

アイスコーヒー

最近のコンビニで売ってあるアイスコーヒーは、なかなか美味しい。セブンイレブンを始め、ローソンやファミリーマートでも、ひきたてのコーヒーを味わうことが出来る。しかも廉価で・・・私も、近くにセブンイレブンがあるので、朝からサンドイッチとコーヒーをいただくようにしている。建築部は、朝早いが、企画営業部の社員が出社するのは9時だから、その前に朝食である。今の季節、アイスコーヒーを飲むことが多い。アイスコーヒーを飲みながら、今日一日のスケジュールを確認し、事務処理をやっていく。特に、一日外出する日は、朝に事務処理を済ませておかなければ、書類がたまってしまうのである。また、それぞれの社員に指示が必要であれば、メモを書いて、その人のデスクに貼っておく。そのようにして、一日の社長の活動が始まるのである。

このアイスコーヒーを飲みながら、思うことがある。それは、セブンイレブンの事業展開のことだ。50年ほど前に、セブンイレブンが出てきたころ、コンビニは、苦戦をしていた。当時は、スーパーマーケットの時代であり、スーパーのダイエーが有名であり、地元熊本では、寿屋やニコニコドーが店舗展開していた。そんな時代に、定価販売するなんて馬鹿げていると、多くの人は考えていた。「スパー」というコンビニ等が当時、展開していた。

そんな中で、セブンイレブンは、朝7時から夜11時まで店が開いてますよ!と言うメッセージを店の名前にしたのである。当時のスーパーが、朝9時くらいから夕方7時くらいまでの営業時間であったことからすると、画期的なことであった。朝から慌ただしく家を出るサラリーマンにしては、7時から開店しているセブンはありがたかったことだろう。(※セブンイレブンをコンビニの代表的な例として、今回取り上げています。)その後、24時間の営業時間となり、夜中に、若人たちが利用するようになる。また、店のトイレを使えるようにして、ちょっとしたときに客が誰でも利用できるようにした。また、駐車場を拡張して、車で利用する人の便宜を図っていった。さらに、コピーやファックス、オンラインでのチケット購入サービス、そして、銀行のATMサービスまで、導入するようになったのである。お客が増えてくると、商品も定価より安く提供するようになっている。

そして、ひきたてのコーヒーのサービス。朝から、喫茶店に行かなくても美味しいコーヒーが飲めるのである。

人は、最初は、エエッと、思うようなことでも、慣れてくると、それを使うのが当たり前になってくる。セブンイレブンの展開は、人々のハートをつかむ展開の仕方をしている。

以前聞いた話だが、100年企業となっている会社の特徴が、顧客の創造と、付加価値の追求を行っていると言うことだ。言い換えれば、常に新しい顧客を作り出していって、新しいサービスを加えているというのである。そんな、会社が、存続しているのである。

そうであるのならば、経営者は、セブンイレブンなどの経営の仕方に学びながら、長く愛される会社経営をしていきたいものである・・・

今朝も、アイスコーヒーと、サンドイッチを食べながら、書類の確認などをしている。

2018年7月23日

夏の音

一年ほど前、社長のコラムで夏の色について書いたことがあった。夏をイメージする色は人それぞれで、真っ青な空の青であったり、花火の赤、オレンジであったり、スイカの赤い色、ビーチパラソルの白色、小麦色に焼けた肌の色など、人それぞれ違っていると書いた。

では、今回は夏の音について触れてみようと思う。

夏は他にない、いろいろな夏らしい音がある。前回書いたセミの鳴く音もそうだが、花火大会の時の打ち上げ花火のドーンという音、露店で賑わう人の声、風鈴の音、水しぶきを上げて遊ぶ子どもたちの歓声、浴衣を着た子どもたちが遊ぶ花火のシュー、パチパチという音、スイカをかじりついた時のサクッとした音、のど越しの生ビールの音、盆踊り大会の歌・・・

確かに、夏には夏の音がある。

夏をイメージする色も音も、鮮明であり、鮮烈でさえある。

夏の時期は、非常に鮮烈、鮮明であるので、私たちの記憶の中に残っていくのだろう。一昔前に、「ひと夏の経験」という歌が流行ったことがあった。人の生活も喜怒哀楽が激しい時期であるのだろう。しかし、最近の人の生活は、冷房完備の室内でゲームをして遊ぶ子どもたちが増えているように思える。大人もそうである。快適な生活の中では、なかなか、そうした夏の音や色に出くわすことが少なくなっているのかもしれない。

昔、流行った、さだまさしの「精霊流し」を聞いてみた。打ち上げ花火の音の後で、バイオリンの甘く切ない響きが心に刺さった。人はそれぞれ、自分の夏の音を持っているのだろう。

この夏、あなたにとっての「夏の音」を探しに行きませんか?

2018年7月16日

社長のエッセイ

以前、社長のコラムとして連載していたものを復活させました。エッセイとコラムでは、基本的な主旨が違うので、私が書いている内容は、どちらかと言えば、エッセイに近いものですから、今回から、「社長のエッセイ」として、掲載させていただきます。

半年ぶりの執筆で、さてさて、何を題材にして書こうかな?と、思ったところ、「季節に関することが一番かな」・・・と、思いましたので、今回は、夏に関することを書かせていただきたいと思います。

梅雨が明けると、急に猛暑となります。特に、梅雨明けの1週間くらいは、熱中症に気を付けないと、大変です。この暑い時期に、蝉の声がするようになりますが、最近気づくことがあります。それは、ミーミー蝉の声が減ったな・・・と言うことです。「みー、みんみん、みーん・・・」と鳴くあの蝉の声は、昔は普通に聞けたものですが、今は、アブラ蝉の「じーじーじー」と言う鳴き声ばかりになっている気がします。ミーミー蝉の鳴き声は、気だるく、夏の暑さを予感させるものでした。そのミーミー蝉が鳴くのが終わるころ、大抵7月の後半、アブラ蝉がジージージー、とやりだすのです。そして、8月に入ったころに、クマ蝉が夏を謳歌するかの如く鳴きはじめ、8月の終わりには、夕立が上がる頃、ヒグラシが鳴き始めるのです。

昔は、蝉の鳴き声だけで、季節の移り変わりを感じたものでしたが、最近では、事情を変わってしまいました。蝉の鳴き声も、梅雨が明けたら、いきなりアブラ蝉がせわしく鳴きはじめ、それにつられて、クマ蝉も鳴く・・・ミーミー蝉はどこに行ったの?と言う感じです。季節の移り変わりを感じる間もなく、時間が過ぎていくように思えます。慌ただしい毎日が繰り返されるようです。

自然(環境)の変化は、人間の生業(なりわい)と、関係しているのでしょうね・・・

社長のエッセイでは、読者の皆さんが、日本の季節を感じるように心がけたいと思いますので、今後よろしくお願い致します。

2018年7月12日