人は、物事を測る「ものさし」と言うものを持っている。その「ものさし」の中で、一番初歩的な段階にあるものが、「好き」か「嫌い」、ではないだろうか?物事を好き嫌いで判断する人は確かに多い。しかし、ここで少し、考えていただきたい。
果たして、好き嫌いだけで物事を見てよいのであろうか?
例えば、テニスプレーヤーの錦織圭に「あなたは、テニスが好きですか?」とか、大リーガーのイチローに「あなたは、ベースボールが好きですか?」などと、聞くだろうか?馬鹿にされるに違いない。「オーマイゴッド」である。そんなのあたりまえ、あたり前田のクラッカーである。
かく言う私も、昔、パソコンを教えていたころ、生徒から言われたことがあった。「先生、先生は、パソコンが好きで好きでたまらないでしょう?」と・・・思わず、苦笑いしてしまった。そんなレベルで、仕事にしているわけじゃないよ。・・・そんなのあたりまえで、それ以上のことを考えて仕事をしているのに・・・質問すること自体、ナンセンス・・・
もっと、より高いレベルで仕事をしようとする人は、「好き嫌い」なんて初歩的な段階で、その仕事を通して、「自分がどうなりたいのか、どうありたいのか」ばかり考えているのだと思う。私も、自分の仕事を通して、なりたい自分、ありたい自分のことばかり考えている。
社長は、文章を書くのが好きだもんね・・・と、よく言われる。確かにそうかもしれない。しかし、その文章を通して、自分がどうなりたいのか、どうありたいのか、ばかりを考えている。また、読者にメッセージを投げかける場合、そのメッセージに刺激を受けて、読者がどうなっていくのか興味がある。
だから、仕事をしながら、「どうなりたいのか、どうありたいのか」はっきりしない人がいると、・・・「何考えているんだろうな?」・・・と、思ってしまう。
家の大きさを測るのに、10センチのものさしで、長さを測る人はいない。
机の上で、図画工作をする場合、10メートルのスケールを使う人もいない。
自分がどんなものさしを持っていて、どのように測っているのか・・・
一つだけ言えることがある。
人生の大切なことを測ることは、「好き」「嫌い」だけで物事を測ることはできないものである・・・ということだ。