心の持ち方!

昨年4月、熊本において大震災が起こった。まだまだ、復旧のためには時間がかかりそうだが、その4月の震災を予言していたとして、未来人なるものの存在がユーチューブで取り沙汰された。昨年5月から6月にかけて、また地震が起きるという事を未来人が予告していたとして、熊本市内の小中学校で噂が立ち始めた。熊本の地元の人はご存知だろうが、そうした不安を払拭するために、熊本市は、「デマを信じてはなりません。あわててはなりません。」と言う、チラシを町内の回覧板で回したのである。

お騒がせなことである。そして今度は、今年5月のゴールデンウィークの前後に、南海トラフに由来する地震が起きるという人たちがいるのである。私の周りには、そうしたことに反応して、地震が起きた時に電源ブレーカーを自動的にダウンさせる器具を取り付けなくては!と、大騒ぎする人までいる。

「風が吹けば桶屋が儲かる」ということを書いた記事は、以前に載せたのだが、地震予知がされれば、儲かる業者がいることは本当のようだ。

ちなみに、その「未来人」は、半年前まで、アメリカの大統領がトランプ氏になることは絶対にありえない。とユーチューブで載せていた。クリントンが大統領になる。と、語っていた。

将来を憂えて、何かを信じるか、信じないかという事は、大切なことではないような気がする。むしろ、どんなことが起きても自分が自分であり続ける勇気と、心の強さを持ち続けることが大切ではなかろうか?

「ありがとう!」という言葉は、「有難う!」と書く。難があって、はじめて感謝の心が生まれる。という意味であることを先日聞いた。

熊本震災で多くの人が避難生活をし、日常生活のありがたさを感謝の心を持って捉えることができた過去1年であった。

もう一度、繰り返す。

これからも、どんなことが起きても自分が自分であり続ける勇気と、心の強さを持ち続けることが大切ではなかろうか?

2017年2月27日

君が君でいるために

君が君でいるために、心の中で歌を持て・・・
君と君の愛する人のために、心の中で歌を持て・・・
心地よいリズムとともに、
君のステップはメロディを奏でる

たとえ誰かが君に対して叫ぼうとも
たとえ誰かが君に対して罵ろうとも

君は自分を信じて歩いていけ
君の目指す栄光のゴールに向かっていけ

100万人が敵となって
100万人が反対したとしても

君はその壁を乗り越えていけ
熱き心を持って自分を信じ
一歩一歩進んでいけ

誰かが言った
「そんなことできない」
誰かが言った
「君は、頭がおかしくなったのか?」

君は君を信じて、愛する人のために歩んでいけ

君が君でいるために

2017年2月22日

魂の新しい人

現在の人々の3分の2は、前世が動物だったと言う人がいる。人間として、初めての魂の人たちである。後の3分の1は、前世が人間だったと言うのである。

輪廻転生と言う教えをご存知だろうか?宗教的なもののように思われているが、人間が生まれてくるのは、生きている間が修行であり、霊界に戻っても修行は続くのである。人は普通、輪廻転生を繰り返し、魂を磨いているのだと言われている。

ただ、この人生、楽に生きようとすれば楽に生きることができる。好きなように生きたければ、好きなように生きることもできる。快楽を中心に生活をしたり、お金儲けを第一に生活するのであれば、そうした生き方をすることもできる。今、ものすごく贅沢な生活をして楽をしているのであれば、注意が必要である。その人は、人間として最後の今世であるかもしれないのだ。その人は、人に施しをしたり、徳を積む必要がある。

ただ、霊界に戻るとき、つまり人が死を経験するとき、すべての魂は検分され、霊界のあるべき場所へと移される。人が死んで、自由に親しい人に行くことができるのは、49日の期間だけである。その後、霊界のあるべき場所へと行かなければならない。

霊界は、修行の場である。すべての魂が修行を行わなければならない。ゆえに、生きている間に人生が修行だと思って生きてきた人は、死後も霊界に戻ることが苦痛ではない。生きている間に、快楽にふけり、好きなように生きてきた人たちにとって、この世に執着があり、なかなか霊界を受け入れようとしない。それらの魂は、霊界に戻らずに幽霊となってこの世を彷徨う。昔から幽霊の話とか、ハローウィーンのお化けの話は、こうした浮かばれていない霊たちである。

こうした浮かばれない霊たちを諭して、霊界に戻るように指導する人々もいる。きちんとした霊能者の人達である。霊能者にも二通りある。修行をして霊能力を身に付け、人助けを出来る人と、自分が何か特別な力があると信じており、その霊能力でメシを食っている人達である。

後者は、そのほとんどが死後、冷たい地獄へ落ちるとされている。惑星で言えば、海王星とか冥王星にある霊界であるらしい・・・

魂の新しい人は、前世が動物だった。その殆どは、牛か馬である。動物顔をしている人は、たいてい前世が動物である。世に言う「美人」と呼ばれる人も、よく見ると、動物顔をしている人が多い。鼻筋が高く、目が大きい。牛や馬もそうした顔をしている。それらの人は、この世において、修行することの大切さを知らなければならない。

全ての人は、自分が生まれ育った環境が、偶然ではなく必然であったことを知る時が来る。そのときが、生きている間に来るのであれば、その人は、人生を悟った人である。しかし、死んでから悟る人も多い。

この文章を読む人は、生きているうちに人生を悟って欲しいと思っている。釈迦やキリストは、生きているうちに人生を悟った方たちである。

2017年2月21日

じゅげむと桶屋とピコ太郎

「じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ くうねるところにすむところ やぶらこうじのぶらこうじ ぱいぽ ぱいぽ ぱいぽのしゅーりんがん しゅーりんがんのぐーりんだい ぐーりんだいのぽんぽこぴーの ぽんぽこなーの ちょうきゅうめいのちょうすけ」

落語の前座話でよく使われる題目である。長い名前をつければ縁起が良いとのことで、赤ん坊につけた名前が、上記のような名前である。話の内容よりも、暗記技術の練習、会話の間の取り方、人物の演じ分けなど、落語家の基礎訓練のためのものという色彩が濃い。しかし早口言葉の面白さがあり、前座噺のなかではよく知られたもののひとつである。言葉にリズムを持たせ、聞き手の心を引き寄せる訓練として考えると興味深い。

日本語の話しの面白さで勝負しているものもある。以下の「風が吹けば桶屋が儲かる。」という話である。

今日の大風で土ほこりが立ちて人の目の中へ入れば、世間にめくらが大ぶん出来る。そこで三味線がよふうれる。そうすると猫の皮がたんといるによって世界中の猫が大分へる。そふなれば鼠があばれ出すによって、おのづから箱の類をかぢりおる。爰(ここ)で箱屋をしたらば大分よかりそふなものじゃと思案は仕だしても、是(これ)も元手がなふては埒(らち)明(あか)ず
— 無跡散人『世間学者気質』より、慣用句辞典より転記

江戸時代の浮世草子『世間学者気質(かたぎ)』巻三(無跡散人著、明和5年、1768年)と言うから、随分古い話である。つまり、
大風で土ぼこりが立つ
1. 土ぼこりが目に入って、盲人が増える
2. 盲人は三味線を買う(当時の盲人が就ける職に由来)
3. 三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される
4. ネコが減ればネズミが増える
5. ネズミは桶をかじる
6. 桶の需要が増え桶屋が儲かる
という、一見結びつかない話が結びつくと言う結末である。まぁ、日本のことわざにも面白いものがあるものだ。

昔から、言葉のマジシャンはいろいろといるもので、最近は、ピコ太郎が、ユーチューブで、一億万回以上の再生回数で、あっという間に、世の中の人気者になってしまった。

日本語は、柔軟性があり、面白みがあるのだ。まじめに語ることもできれば、悪ふざけもできるし、奇妙な言い回しにもなったり、意味不明にもなったりする。そんな中、言葉のマジシャンたちがいろいろと現れてくるもので、言葉の真髄をわかったものだけが、人々の心を捉えていくのだろう。

私もまた、言葉のマジシャンでありたいものだ・・・

2017年2月20日

早春賦

(歌詞)
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か

この曲は、長野県大町市、安曇野あたりの早春の情景をうたった歌とされ、長野県立大町中学校(長野県大町高等学校の前身)の校歌を作りに来た吉丸一昌が、大町、安曇野の寒さ、そして春の暖かさを歌った歌詞でもある。

100年以上も前の曲であるが、冬から春に向かう季節の頃を、心情を込めて歌っている。2月の頃は九州でも、三寒四温という季節の変化を経験しながら、春に向かっていく。

最近、事務の女の子に「三寒四温」って知ってる?と、聞いてみたら、「知らない」と言う。インドア派のゲームを中心に育った世代には、季節の変化を読み解く感性が備わっていないのだろうか?

熊本の益城の秋津辺りから市内に続く平野には、田んぼがあり小川が流れて、昔から自然が残っているところだった。横井小楠が住んだ「四時軒」に行くと、田園風景が一望でき、明治維新に一役を買った小楠先生の面影をしのべた。

この「四時軒」に、坂本龍馬、西郷隆盛らが来ている。多分、坂本龍馬は、小楠先生から、「富国論」など、政治があるべき姿について、耳をそば立てたのだろう。しかし、熊本においては、横井小楠は、それほど評価されていないような気がする。

その「四時軒」も、昨年の4月に起きた熊本震災の時に、全壊している・・・

人々の記憶の中から、「四時軒」がなくなっていく前に、ここに記す・・・

2017年2月13日

里山の風景

自分の会社を紹介するのにあなたはどんな方法を採るだろうか?

私が取る方法の中に、会社の主だった人の苗字を組み合わせて説明をしている。

「大きくてよく肥えた田んぼがあり、その周辺に大きな村がある。後ろには、大きな山と田んぼがあり、その山の本には、松の木が生えている。小川が流れ、田には苗代があり、神様の近いところには、橋がかけてあり、神様の領域に渡る辺りに、丘があり、宝を集めた倉がある。」

こんな話しである。日本昔ばなしのようにも聞こえるが、なにか、日本の里山の風景を思い出さないだろうか?

なぞかけみたいな話だが、この話の中に、会社の役員や主だった人たちの苗字が隠されている。個人情報の関係で、名前は明かさないが、面白いものである。

里山の風景は、いつも日本人が懐かしさを覚え、心の安らぎを覚える場所である。会社は、人の集まる所であるが、そこに、安心感や喜びがあり、やりがいがあって自分の目指す生き方(仕事)があれば、最高のところとなる。

私は、一経営者として、思い出す言葉がある。何年か前に、NHKの大河ドラマで、「龍馬伝」をやっていたが、福山雅治演じる竜馬が、次のように語っていた。「皆が笑って暮らせる国をつくるぞな」「誰にも縛られない国をつくるぞな」

その福山の言葉が好きだった。同じことを、会社の経営でできるなら、一番いい。

それが、私の本心である。

2017年2月12日

高野山 その2

奥の院を出てから、近くの喫茶店に入った。光海珈琲と言うところだった。

昼のランチを食べて、コーヒーを飲もうとして、メニューを手にした。そこで、目を疑ったのは、「たまごコーヒー」と言うメニューだ。店員さんに、「これって、何ですか」「ま、まさか、卵がコーヒーに入っているんですか?」と聞いてみる。

そのまさか・・・が、本当なのだ。卵の黄身がコーヒーの中に入っているのだ。「ゲー、それはないでしょ?」とこちらが言うのだが、店員さんはいたってまじめに、「カフェオレみたいにまろやかになって、美味しいですよ」・・・
と言うのだ。

「自分の良いところは、ノリの軽さと、気の若さ」と、昔から言われてきたので、ここは、飲んでみよう!と言うことになった。

注文すると、しばらくして、『たまごコーヒー』なるものが出てきた。「卵が沈んでいるので、すぐにしっかりとかき混ぜて下さい。」

そういわれると、急いでかき混ぜる。そうすると、真っ黒だったコーヒーが、ブラウンに変わった。恐る恐る口にすると、「ん、意外といけるかも・・・」

確かに、カフェオレのような味になっているのである。なるほど、このような飲み方もあるのか・・・

そう思いながらも、最後まで飲むと、卵のひもみたいなものが口に残ったので、「まぁ、これはご愛敬だな・・・」と言う感じ。

珈琲を飲み干すころには、外は、雪が激しく降ってきたので、これは、早く戻らないとバスが動かなくなるかもしれないぞ・・・そう思いながら、喫茶店を出て、バスに乗り、高野山駅まで戻った。

高野山・・・日本人の原風景を見るようなところだ・・・

2017年2月4日

天空の街、高野山

2月の初旬、天空の街、高野山へ登ってきた。南海線の難波駅から高野山線に乗り、橋本を経由し、極楽橋を越え、ケーブルカーに乗って高野山駅に行き、奥の院まで行った一日を紹介しようと思う。

難波駅から乗り進むにつれて、しだいに乗客は少なくなっていく。「しかたがない、平日の午前中だから・・・」そう思いながらも橋本で列車を乗り換える。ここからは、山岳列車の感を呈す。実際乗客は、山登りのリックサックを背負い、杖を持って、底が分厚い運動靴を履いている人たちばかりだ。

上古沢あたりから、列車の車輪はレールとの摩擦で、キーキー音を立てている。途中にある紀伊神谷駅は、以前立ち寄ったことがある「秘境駅」の一つである。以前訪問したときは夏の終わりで、ヒグラシが夏の終わりを惜しむかのように忙しく鳴いていた。そんな中私は、1時間くらい、時が止まったかのように小川のせせらぎを聴き、自然の中に佇んでいた。しかし今回は、ただ車窓から眺めながら通り過ぎるだけだったが、車が2~3台止まっており、もしかしたら以前の私のように、その人たちは秘境駅を堪能しているのだろうか?・・・そう思ったが、今回は、雪が少しばかり降る寒い日だった。

極楽橋駅から高野山駅を目指す。極楽橋駅が標高600メートルを超えているが、そこから一気に300メートル以上の標高差をケーブルカーに乗り換えて向かうのだ。山肌の残雪を目にし、最初約15度の勾配をケーブルカーが進んでいくが、高野山駅に近づくにつれて、30度の急勾配になる。下から見上げると圧巻である。

高野山駅に着くと、そこは標高900メートルの天空の街になっている。一日フリーのバス乗車券を購入し、奥の院を目指す。奥の院は、国の史跡・世界遺産である。空海の御廟と灯籠堂があり、参道には、皇室、公家、大名などの墓が多数並び、その総数は正確には把握できないものの、20万基以上はあると言われている。戦国大名の6割以上の墓所があり、豊臣秀吉、伊達政宗、武田信玄などの墓所もあった。

弘法大師空海の御廟と灯籠堂があるお堂には、毎日、御膳が上げられており、私が訪問したときは、ちょうど、弘法大師に上げられた御膳を下げて、お坊さんたちが3人で担いで橋を渡っているところだった。1000年以上に渡って、こうした風習が続いているらしい。

私はそこで、会社の隆盛を願い、護摩木を申し込みをした。小雪が舞う中、弘法大師空海に思いを馳せ、奥の院入り口までの2キロ程の道をゆっくりゆっくり歩きながら「人の一生ってなんだろう・・・」と、つぶやいていた・・・

2017年2月3日