日本の高度成長期時代のこどもにとって、文部省(現在の文部科学省)は、こどもたちを実験台にしていたのではないか?と思えることがある・・・
それは、給食の脱脂粉乳と、プロセスチーズ・・・
脱脂粉乳は、さすがに私が小学校に入る頃には、少なくなったが、それでも鼻をつまみながら飲まなければ、とてもじゃない・・・飲めなかった・・・
そののち、牛乳に変わったので、比較的に美味しく飲めるようになった・・・
ただ、クラスの中には、けったいな奴もいて、牛乳を半分くらい飲んだら、水道水を入れて、量を増やしたようにして、美味しそうに飲んでる奴がいた。あるとき、クラスの連中がそれを面白がって、真似して飲んだら、みんな、吐き出して、先生からしこたま怒られている奴がいた・・・・・・タラリー、鼻からギューニュー・・・
牛乳はそれくらいにして、今度は、プロセスチーズ・・・
自分の人生の中で、「チーズ」というもの、今まで一度も口にしたことがない・・・
小学校に入って、あるときから、この「チーズ」という奴が献立に出てくるようになった・・・
「なんだ、この石鹸みたいなやつは???」
けげんそうに、少年のボクは、その物体にかじりついた・・・味がない・・・というより、これって石鹸じゃないの???(石鹸は食べたことがありません)と、みんなで話をしている。吐き気を催しながら、目をシュパシュパしながら涙が出てくるのをこらえて、食べる・・・
「給食のお残ししたら、昼休みはないよ!・・・」担任の先生は、みんなに一括しながら自分はさも当然という顔をして、給食を食べている。
あの匂い、あの食感、・・・今も思い出すだけで、気絶するようにマズかった。
そういえば、あの時担任だった相川先生、チーズを残してハンカチにくるんで持って帰ってましたね。・・・みんなが見てなくても、ボクは見てましたよ・・・
その後、中学校に入った頃だったか、オヤジが旅行に行って、外国のチーズを買ってきた。「ゲッ、チーズだ!・・・」
そう思いながらも、おふくろに差し出されたチーズを食べてみた。・・・
「ン、これって、美味しい・・・」
「母さん、これ、本当にチーズなの?」
「そうだよ」
初めて、本物のチーズに出会った時の思い出である・・・
くそっ、文部省の役人たちめ!・・・こどもたちを実験にしやがって・・・
当時、日本製のチーズは、恐ろしい程まずかったのである・・・
最近、ひとりさんの本を読むようになった。と言っても、劇団ひとりではない。斎藤一人さんである。一人さんが、お弟子さんの千葉さんに語った言葉から抜粋してみよう。
「純ちゃん、女性が弱いものだと思っていないかい?まずはそこが違うんだよ。女性ってね、強いの。男性なんか足下に及ばないほど強いんだよね。・・・・・・強い女性は、自分より強い人が好きなの。つまり、器のデカい男性が好きなんだよね。仕事は最も自分を成長させてくれるものだから、仕事をすればするほど男性は強くなるの。器も大きくなるの。女性は、そういう男性に惚れるようになっているんだよね。それとね、女性は惚れた男性をずっと尊敬していたいの。だから、惚れられたら、男性がやることは一つ。もうこれくらいでいいかな、なんて妥協せず、自分をどんどん成長させること。そうすれば、男性も女性もずっと幸せなんです。」
なるほど、そうなのか・・・働くことが大好きで、仕事をとことん楽しむようになればいいんだ。だからこそ、物事をポジティブにとらえて、積極的に動けばよいのか!
以前、飲み屋の女の子に言われたことがあった。
「小さなことにこだわらないで、デンとしていて欲しい。誰がこう言った、彼がこうした・・・と言うことを気にしないで欲しい。」・・・と・・・
そうだったんだ、その娘は、女性の本質を教えてくれてたんだ。
今頃になって、こうしたことがわかるようになってきたなんて・・・
「遅れてるー」・・・なんて言われても仕方がないかな・・・
世の中、姑息な人はいくらでもいる。自分の利益ばかりを考えて、ぜんぜん損をしないように生きている人もいる。でも、自分がそんな人になることはない。
以前、私の知人が、次のように語ったことがある。
「自分は、人にお金を貸さないようにしている。お金は人にやるようにしている。だから、食事をしても、何か買ってあげてもお金が返ってくることなんか気にしていない。」
その知人は、「貸す」と言う概念がなかった。
それもまた、器が大きいな・・・と考えさせられたことがある。だからこそ、今では、相手のお金がなくて自分がお金を持っていたら、普通に出せるようになってきた。
やっぱり、器が大きな人間になりたいという願望がある。
今年の初めに会社の年間スケジュールを作成した。売上の目標を定めて、それぞれの部署で何を行うのか、明確にした。
会社の中長期計画の中での一環である。経営者は、10年先を見て計画を立てなければならないと言われているが、経済アナリストによると、2020年の東京オリンピックを境に日本の景気は、驚く程、底冷えになるらしい。そこで、単一の事業では、景気の波に影響されてしまうので、事業形態を工夫しなければならない。
そのあたりの事情もあって、1年ほど前から、建築本来の事業から全く別分野のIT事業を始めている。グーグルの事業である。このグーグル事業を皮切りにほかの事業へと展開し、最終的には、建築と重なってくる不動産事業へと進めていこうと考えている。
そのあたりの事業展開の話を、今年の初めに、社長訓示として社員に話した。ポカンとしている者もいたが、しっかり捉えている者もいた。十人十色で、人それぞれ受け取り方はあるだろう。
以前、ドラッカーの経営学の本の中で、全員一致になったらもう一度、審議するように促されていた。むしろ、反対意見がある中で多くの人の共感を得ながら進める方が賢明であることが記されている。そのほうが、うまくいかない時にも、対案が示されて、その対案によって物事のやり方に変更を加えることが可能だからである。
昨日、アメリカ大統領のトランプ氏が就任演説を行なっていた。トランプ氏については、アメリカが保護主義的な国になるとか、世界の国々について脅威となる。という意見を言う人が多くいる。
しかし、この機会に考えて欲しいことは、トランプ大統領の出現によって、アメリカ人が政治のことを真剣に考えるようになり、自分たちがどうあるべきか、国内のこと、世界のことをもう一度見直す機会になっているのである。
国にしても、会社にしても、基本的に同じではなかろうか・・・
ウキペディアによると、守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。個人のスキル(作業遂行能力)を3段階のレベルで表している。
まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。
武道等において、新たな流派が生まれるのはこのためである。
個人のスキル(作業遂行能力)もレベルで表しているため、茶道、武道、芸術等だけでなく、スポーツ、仕事、勉強、遊び等々、世の中の全ての作業において、以下のように当てはめることができる。
守:支援のもとに作業を遂行できる(半人前)。 ~ 自律的に作業を遂行できる(1人前)。
破:作業を分析し改善・改良できる(1.5人前)。
離:新たな知識(技術)を開発できる(創造者)。
と、なっている。なんでもそうだが、最初から自分なりのやり方で我を通そうとすると、うまくいかない。うまくいかない人ほど、私は特別と思っているらしい。しかし、私はその人に言いたい。
「じゃぁ、自分は特別と思っているその結果が今のあなたです。」ということである。
斎藤一人さんの本のなかで、顔にクリームを塗って、人に会うようにすると良いらしい。1週間もすれば、運気が高まってきたのを感じるらしい。・・・と、書かれている。
そのように言われたなら、素直にそのアドバイスに従ってみるべきである。自分のやり方、自分の理由などを言わずに、まずは素直に従うことだ。
あなたが、自分の顔にクリームを塗って、カガミの前に立つが良い。そうすると、そこに写るあなたの顔は、ガ(我)が取れて、カミの威光が差すようになるのである。
そう、奇跡は起こるのだ!
最近よくレガシイという言葉を」聞くようになった。以前、スバルのレガシイに乗っていたので、なんのこっちゃと思って、ネットで調べてみたら、次のように書かれていた。
1 遺産。先人の遺物。
2 時代遅れのもの。「レガシーシステム」
今朝、安部総理が、東京オリンピックについて、新たに建造するスポーツ施設や、2020年のオリンピックで示される人々のおもてなしの精神を、新たに作り出していくレガシイにすると語っていた。
この場合、レガシイとは、未来志向の考えであり、未来の人々から見た、先ほどの1の意味の使い方である。
はて、ここで、今、自分が行っている仕事が、未来の人々から見たら、良い意味で遺産、遺物と言えるものだろうか?と、考えた・・・
当社は、手前味噌ではあるが、23年ほど前に熊本城の天守閣の左官工事を手がけた。当時は、ゼネコンが前田建設の元、㈱カワゴエが左官工事を受けて、そのもとで、㈱オオタは、大天守の瓦しっくい工事に携わった。
昨年4月に熊本震災が起きて、熊本城の天守閣は、大きく修復しなければならない状況になった。再び、熊本城の天守閣の仕事の話が㈱オオタにも来ている。今回は、ゼネコンは、大林組、左官の専門業者は、前回と同じカワゴエ、そのカワゴエからの依頼である。
今回は、前回と違って、㈱オオタは、この20年ほど、瓦の漆喰工事や、なまこ壁などの経験はほとんどない。しかし、それ以前に、在来の左官工法をやっていた職人が、5~6人はいる。その人たちは、23年前の天守閣のなまこ壁の仕事をしていたのである。
経験の長い職人たちは、日本古来の仕事の仕方を知っている。彼らの技術を、2の意味の時代遅れのものにしてはいけない。
㈱オオタは、新たなレガシイを作り出す仕事をしていく。彼らの役割は、そのレガシイを作り出す担い手である。
実際の熊本城の天守閣の左官工事は、今年9月ほどから始まる・・・
「縁」という言葉は、日本独自の言葉ではないらしい。先日、NHKでチェコの鉄道を利用した地域の人々とのふれあいの旅を放送していたが、その中で、義理の父親と幼い時からその娘がともに乗馬が大好きだったのが偶然ではなく、必然的に引き寄せられたかのようにして家族となっていたことが紹介された。
人との「縁」とは、不思議なもので、「縁」の深い人とは、何かのことで引き寄せられたり、偶然と思えることが重なって、家族になったりするものである。
興味深いことに、この「縁」という言葉、お金の「円」につながっているらしい。というのは、ある先生が私に話してくれた事だが、日本のお札には、人物が描かれているのだが、ただ一つだけ、描かれていないお札があるそうな・・・
読者は、なんだと思うだろうか?
実は、2000円札がそうである。沖縄サミットが開かれた西暦2000年に発行された現在使用できるお札である。表面には、沖縄の守礼門が描かれており、裏面には、紫式部の源氏物語絵巻の「鈴虫の巻」から取られている。右が光源氏、左は退位した冷泉帝です。冷泉帝は表向きは源氏の異母弟であるが、実は源氏と藤壺の宮が密通して出来た子となっている。
この2000円札、人気が薄く、今でも流通していることを知らない人も多いのではないだろうか?
福沢諭吉、樋口一葉、野口英世、が描かれている1万円札、5千円札、千円札は、表面に人物が描かれており、私たちも好んで使っているはずである。
お金に、人が関係していることは興味深いことである。
その先生は、次のようにも語っていた。
「人を嫌ってばかりいると、お金から好かれません。お金は、人との縁を大事にしている人のもとに集まってくるのです。」
確かにそのとおりである。事業をおこなっていても、人を大事にしないとお金は回ってこない。取引先とのご縁も大事にし、従業員を大事にしていかないと、事業はうまくいかないのだ。
「縁」は、円を生み出す!という言葉は、もっともなことで、これからも人を大事にして、事業をおこなっていきたいものである。