北風と太陽

ある日のこと、北風と太陽が言い争いをしていました。
北風は、「僕はなんだって吹き飛ばせるんだ! 一番強いのは僕だ!」
太陽は、「確かに君には力がある。 でも一番強いのは僕だよ」と、どちらも引きません。そこで、力自慢をすることとなったのです。
「じゃあ、あそこに歩いている旅人の、 服を脱がせたほうが勝ちってことにしよう」
まずは北風から始めました。「あの旅人の服を吹き飛ばしてみせるよ」と言いながら、「ビュー!」と、冷たい風を旅人に勢いよく吹き付けました。
そしたら旅人は、「なんて寒いんだ」と言いながら、更に一枚、服を取り出して、今の服の上に重ねて着込んだのです。
それでも北風は負けまいと、「ビュー!」と、冷たい風を旅人に吹き続けました。
しかし、旅人は、飛ばされないように、服をしっかり押さえ、体を前かがみにして歩き続けたのです。
北風は、とうとう諦めました。
「こんどは僕の番だ」太陽はそう言うと、まず、ポカポカと暖かく、そしてやさしく照らしました。
旅人は、「ポカポカといい陽気になってきたぞ」と、重ね着していた服を1枚脱ぎました。
そして、太陽は、更にやさしい日差しを当て続けたのです。
歩いていることもあり、旅人は汗ばんできて、ちょうど川沿いがあったので、一休みすることにしました。
太陽はその時、ここぞとばかり、ジリジリと強い日差しで旅人を照りつけ始めました。
旅人は、「こりゃたまらん!」と言って、服を全部脱ぎ捨て、目の前の川に飛び込んだのです。
この話は、イソップ寓話の「北風と太陽」という物語のあらすじです。

さてさて、この物語、良く知られた内容でありますが、あなたはどのように教訓を当てはめますか?

まずは自分の襟を正して、人に頼ることはやめよう。人に期待しないこと。ただただ純粋に、相手の事を考えて、どうすれば、その人が幸せになれるかだけを考えて行動すること、フォーアーザカスタマーの精神・・・

そうしたことだが・・・

世の中、年末になってきて、財布のひもを引き締めなければならなくなると、人は厳しい表情に変わる。ましてや、寒さも手伝ってきて、益々自分を守ろうとする人が多くなる。車の運転は荒々しくなり、車がちょっとでも当たったりすると、怒鳴りあいの喧嘩になる。

何もない時なら、誰もがゆとりをもって対応できるのに、緊迫してきたり、ストレスを溜めているとき、相手の事を考えることが出来なくなる人が多い。

そう、そうしたときこそ、「自分が試されているんだ・・・」と考えて、温かい心を抱けるように心がけよう。

年末になってくると、年配の方で亡くなる方が出てくる。昨日も、ある方の通夜に行ってきたのだが、人がなくなって、どれほどの人が本当に悲しむのだろうか?一年もすれば、その人の事を覚えているだろうか?

自分に置き換えてみる・・・北風ではなく、太陽のようにありたいものだ・・・

2016年12月29日

選民意識のわな・・・

「あなたは、特別な人です。かみから選ばれたものです。」

このように言われると、あなたはどのように反応するだろうか?
実は、この言葉を用いて宗教活動を行っている団体をカルト教団と一般的に言われている。オーム真理教のみならず、多くの宗教で人が誘い込まれる場合、こうした言葉が使われる。しかし、客観的に見て欲しい。皮肉なことに、多くの特別な人と言われる場合、ごくごく普通の人にしか見えないのだ。

私もここ10年、一般的な末端の人達と接してきて気づいたことだが、末端の貧乏な人ほど、自分が特別な人であると信じていて、親からそのように特別な存在であるように言われている場合が多い。子供にキララ名をつけたり、自分の子の漢字を特別な読み方をさせようとする。そうした人ほど、社会の末端の人であり、貧乏から抜け出せないでいる。

実は、大企業は就職採用をする場合、キララ名がついている人を採用しないということはご存知だろうか?以前、経営コンサルの人が講演会で話していたのだが、キララ名をつけている親は、常識はずれなことが多く、子供のことで問題を起こしたり、何かとトラブルが多いそうである。それで、最初から大企業の人事担当者は、キララ名の人を採用しないということらしい。

へー、そうなのか?と、私はそのときはあまり深く考えていなかったが、最近感じることは、平凡で普通の人ほど、特別なことをしないとうまくいかないと思っているらしい。

しかし、本当に成功する人は、「素直な人」であり、特別なことはしない。うまく行く人は、オーソドックスなことを愚直なまでに繰り返し行っていくのである。自分が特別な存在だとは、全く思っていない。

実際、あなたの周りにいる成功している人に聞いてみるが良い。どうしたら、あなたみたいに成功できるのですか?と・・・

その人は、次のように言うだろう・・・

「自分より成功している人の言葉を聞いて、ただ、素直にそれを行っただけです。特別なことはしていません。運が良かっただけです。・・・」

そう、自分の考えに執着したり、頑固にならないで、「素直」に成功者の考え方ややり方を真似ただけである。・・・

2016年12月16日

ガムを噛もう!

最近、若い人たちにとって、ガムを食べることが減っているらしい。
・・・というニュースを何かで読んだ。

ネットを調べると、咀嚼力については、次のように出てくる。

ものをよく噛みしめることは、人間の本能的な欲求であるといわれている。
チューインガムが第二次大戦中にアメリカ兵の携帯食になっていたのはこの点を利用したものである。すなわち、チューインガムを噛んでいると精神的にイライラした状態がおさまる、緊張を和らげることができる、精神状態の安定化が図れると言われている。
野球でも外国の選手がプレー中にガムを噛んでいる場面を見かけるのは、精神面で効果があるからだそうだ。 

また、最近ではガムの効用として、食後に長く噛むことで歯の清浄作用や、噛むことによりあごの発育、脳細胞への血行促進による眠気防止、老化予防にも効果があるらしい。
以前からガムに特殊な香料(眠気予防にカフェイン、口臭予防にフラボノ、疲労回復、栄養補助食品としてビタミンCなど)をくわえた効能ガムも多く販売されているが、実際には気分転換のための嗜好品としての役割がいちばん大きいらしい。

毎日30分以上ガムを噛み続けることで健康を維持することができる。このすばらしい食品をもう一度見直し、積極的に活用することを提案する。

このように、咀嚼力については、様々な効果効能が見込まれる。しかしながら、これらの知識が十分に生かされていないように思える。

高速道路を運転していて、ガムを噛むことは、眠気防止になるので必要なことだが、その辺、高速道路管理団体と、日本咀嚼協会やガムメーカー(例えばロッテ等)と、連携できないだろうか?

例えば、ETCカード(高速のチケット)を、サービスエリアの窓口に持っていくと、自分が入ってきたインターチェンジからそのサービスエリアまでの距離がGPSを使えば分かるので、その距離に応じたところで、ガムを無料配布する。ということだ。

そうすれば、眠気によって引き起こされる交通事故を随分減らすことができるだろうし、ガムメーカーは、消費者に宣伝する機会を得ることになる。そうなれば、ガムの消費が増えるのではなかろうか?WIN・WINの法則が成り立つように思える。

高速道路側とガムのメーカーが協力すれば、簡単に出来そうに見えるが、いかがなものか・・・

ちなみに私は、ガムメーカーや高速道路関係の回し者ではない・・・

2016年12月14日

マルチレベルマーケティングについて

最近、MLM(マルチレベルマーケティング)について聞くことが多い。そして、事業でそれなりの成功を収めている経営者に対しては、「MLMなどやめなさい」と言われる。

私も御多分に漏れず、「MLMなどやめなさい」と言われる側のひとりである。

ではなぜ、人はそのように言うのであろうか?

MLMについては、アメリカでは、立派な商取引きとして成り立っているが、日本においてはそうではない。

かつて、熊本で「天下一家の会」というものがあった。無限連鎖の始まりである。社会問題をもたらしたそのシステムは、不幸を招くもので、アリ地獄に陥るようなものだ・・・と言われた。

それで、国のほうも、そうした無限連鎖については違法であるとして、有限連鎖にするように法律を整えた。だから、今、システム上無限連鎖になっている会社は、まず存在しない。国の法律に従って、有限連鎖にして、MLMを展開しているのである。

しかし、それでも、「MLMなどやめなさい」と言われるのは、なぜだろうか?

それは、MLMをやっている人に問題がある。

MLMで成果の出ない人は、ねずみ講的な考え方を持っている。早くはじめると、儲かる・・・とか、自分の先にすごい人が出たら儲かる・・・と、思うものらしい・・・

つまり、ねずみ講的な考えとは、「人頼みである」ということだ。人に頼って、自分で努力しようとしない。しかも、素人がさも分かったようにして話をする。「誰々さんが言ったから・・・」と言っては、責任転嫁する。そんな人がたくさんいるから、関わりを持ちたくない・・・と多くの人は、考える。

また、MLMでの成功は、個人事業主(個人)としての成功であって、社会で認知されている法人格での成功ではない。MLMで成功した人は、きらびやかなステージで表彰を受ける。しかし、まともな会社の経営者で、「私はこれで成功しました」と言ってる人などいない。そう、松下幸之助や、本田宗一郎、孫正義等がそのようにした姿など一度も見たことがない。

経営者からすれば、「成功」は一過程であり、成功してからその後が大事である。「七つの習慣」の中にも取り上げてあるが、成功したあとに人が目指すべきこととして、「社会貢献」が挙げられている。経営者としていつも考えなければならないことは、自分の会社を通して、どのように社会に貢献できるか・・・ということだ。

会社が利益を上げて、税金を払うこと、寄付をすることなど・・・当然、社会貢献となる。

そうした考えを持っていれば、成功は当たり前のことであり、通過点である。

故松下幸之助は、かつて次のように語った。

「会社を存続させること自体、社会貢献である」と・・・

2016年12月12日

ジョンレノンの命日

1980年12月8日22時50分、スタジオ作業を終えたレノンとヨーコの乗ったリムジンがアパートの前に到着した。2人が車から降りた時、その場に待ち構えていたマーク・チャップマンが暗闇から「レノン?」と呼び止めると同時に拳銃を両手で構え5発を発射、4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、彼は「撃たれた! (I’m shot!)」と2度叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れた。警備員は直ちに911番に電話し、セントラル・パークの警察署から警官が数分で到着した。

ウキペディアによると、ジョンレノンの死の状況は上記のようであった。

昨日、12月8日に、街へ繰り出して、たまたま三年坂のホコ天を通った際に、ジョンレノンの追悼のライブが行われていた。演奏をするのは、まだ20代の若者で、ジョンレノンを自分の師だと語っていた。その彼が、ジョンレノンの歌を歌っていたのだが、お世辞にもあまり上手ではなかったが、一生懸命歌っているのが印象的であった。聴衆は、20人くらい、年代的には、60代~70代の人も多くいた。もう30年以上も前の事だからである。時代が確実に変わっていっているのを感じさせた。

ジョンレノンの死を考えるときに、ジョンがホワイトアルバムの中に載せた「ハッピーネス・イズ・ア・ウォームガン」と言う曲を思い出す。幸せは、温かい銃からもたらされるという意味か?・・・なにか、皮肉な感じを受ける・・・

足早にその演奏をちらっと見ながら、通り過ぎる人も少なくない。年末のあわただしさの中、そのライブは一服の清涼剤を飲んだような感じだった。

私もジョンレノンの曲をよく聞いたものだが、そういえば、4年前にポールマッカートニーがロンドンオリンピックのオープニングセレモニーに出演して、「ヘイジュードー」を歌ったのを思い出した。ポールも現役の時と違って、声はかれていたなー・・・そう、思いながら、時代の変遷を感じた・・・

時代は、変わっていくのだ・・・来年は、2017年・・・

2016年12月9日

ゴールをどこに設定するか?

その人のゴールをどこに設定するかによって、人生は大きく変わってくる。

マラソンの選手であれば、ゴールテープを切ることを目標にするとゴールの手前でスピードが落ちてくるらしい。ゴールした先の何キロかまで目標を設定すると、良い記録でゴールにたどり着くらしい。

先日、福岡国際マラソンで川内優輝選手が3位になった。その川内選手が言っていた言葉が印象的である。

「日本代表になることだけを目標にするなら、世界で戦うことはできない。世界で戦うことを目標にするなら、当然、日本代表になることは通過点である。」

こうした趣旨であったと思う。確かに、目標をどこに置くかによって、到達点がどこになるかに影響する。大リーグのイチロー選手は、プロ野球の選手になることは通過点であった。

営業の人間であれば、契約の件数をあげることや数字が目標であるかもしれない。しかし、本当にその目標を捉えようとするならば、その先にゴールを設定するべきである。例えば、その契約によって、お客さんが満足し、そのサービスを使っている姿を描くのである。あるいは、契約したお客さんのその後にサービスを提供することまで描いておくと良いようである。そうすれば、契約を取ることに必要以上に緊張して、金額を割り引いてしまうことを避けられるだろう。

会社の目標も長期的目標、中期的目標、短期的目標など設定する。

長期的目標は、10年くらい先の事だが、私事で言えば、社長が次に代わっている状態である。その時、どのような経営になっているか考えなければならない。また、次の社長を育成していく必要もある。
中期的目標と言えば、2020年の東京オリンピックが終わり、経済が冷え込んでいる時代に入ることが予想される。その時までに、安定した収入が入るようにしておくことが必要だ。そのために、今、動かなければならないと感じている。
短期的目標は、毎月の売り上げ目標を設定して、どうすればよいか、また、決算の状況から判断して、利益が生み出される仕組みが出来ているか、絶えず、チェックする必要がある。

このように、常に、物事を長い目で捉え、目先の事だけに一喜一憂しないよう、注意していきたいものである。

2016年12月5日

師走になって・・・

毎年、12月になると「師走」と呼ばれる時期に入る。
「師走」とは、師が走る季節だからということなのだが、この「師」が誰なのかによってまたいくつかの説に別れる。
・師=御師
・師=お坊さん
・師=先生

いずれにしても、役職のある人はこの12月の時期、忙しいようである。そして、決まったように、この時期、人々が口にするのは、次のような言葉である。
「いやぁ~、1年が経つのが早い、早い。もう12月なんですね。今年正月が来て、今年の目標を立てて、ついこの間まで暑い、暑いと言っていたんですが・・・」
決まり切ったように話が出る。しかし、考えて頂きたい・・・

「去年の今頃、あなたは、同じようなことを言っていませんでしたか?」

実は、毎年同じことを繰り返しているのである。と言うことは、一年は本当に短いものだと感じる必要がある。だからこそ、やるべきことはやらないといけないし、すべきことはしなければならない。先延ばししてはいけないのだ。

人は老人になったら、ゆったりした動きをする。そして、大事なことを先延ばしにしてしまう。しかし、自分の寿命は確実に短くなっているのに・・・ゆったりしているのだ・・・

いつまでも若くありたいならば、動きが緩慢であってはいけない。しかし、師走の時期のように、あわただしく感じるときは、あわてて交通事故などに遭わないようにしたいものである。事実、今朝、マイカーで出勤途中、目の前で軽自動車と原付自動車が正面衝突をしていた。

これは、「慌ててはならない。注意して運転しなさい」という、ご先祖様からの警告かもしれないと思った。

自分の周りで起きることを注意深く観察して、警告のサインが出ている時がある。それをしっかりとキャッチし、謙虚な姿勢で日々を過ごしていきたいものである。

2016年12月2日