最近、モデルの女の子に本人の写真を見せたら、「ぜんぜん盛れてない」と、言われた。
「はぁ、なにそれ?」「どんな意味があるの?」と、聞いたら、
「詐欺れてないってことだよ」と、言われた。
「はあぁぁぁ、ますますわからん」「なんじゃそりゃ?」
「こんど、教えてあげるよ」と、本人から・・・
わからん!同じ日本人なのに、言葉自体が通じなくなっているとは!
そこで、おじさんである私は、ネットで調べてみることにした・・・
元々はギャル用語で、現在は若者(男女)の間で幅広く使われる単語。1つの例として「プリクラで盛れた」とは「プリクラで可愛く撮れた」といった意味になる。
別の表現では、特定の人のかわいさや、かっこよさが優れていることを指す。若者言葉。と、なっている。
じゃぁ、詐欺れてないって、言葉の意味は?と言うと、
「詐欺れた」というのは、「盛れた」と言うのと同じような意味であるが、本人でないくらいにきれいに写ったという意味だろうか?これも、プリクラ用語からきた言葉である。
いやぁー、参った、参った・・・
最近の「ゆとり世代」と付き合うことは、大変でごじゃりまする・・・
梅雨の末期になると、特に空梅雨が続いたあとに、集中豪雨が発生するものである。こんな時期は、うっとうしく思うものであるが、逆に、自分の気持ちを良い方向へもっていく手立てはある。
例えば、紫陽花の花を鑑賞するとか、水彩画を描くということもできるだろう。他に、BGMとして、雨を題材にした曲を聴くことも良いことだ。特に、ショパンの「雨だれ」などいかがなものか?
前奏曲『雨だれ(Raindrop)』(雨だれの前奏曲/雨だれのプレリュード)は、ショパン「24の前奏曲(作品28)」の第15番目の曲。作曲当時20代後半頃のショパンは、恋人ジョルジュ・サンド(George Sand/1804-1876)とスペインのマジョルカ島(Mallorca)で静養中だった。ショパンがマジョルカ島に滞在していた頃はちょうど地中海性気候の雨の多い時期で、長く降り続く雨が前奏曲『雨だれ』の完成に影響を与えたとも言われている。
雨が降って、外に出ることができない日は、心静かに、日頃の自分を振り返ってみたり、これから行う計画を練ったりする良い時かも知れない。無理して、仕事を急いだりすると、事故にあったり、体調を壊しやすくなるので、十分注意が必要だ。
最近は、LINEなど、便利なものがあるので、自分の好きな友達とラインをしながら、家の中の片付けなどするのも良いかもしれない。
6月末にベトナムのハノイを訪問した。3月に訪問して以来、2回目である。空港に降り立ったら、ムッとしたむし暑さが来る・・・たまらん・・・と思いながら、ホテルからきているはずのタクシーを捜す。なかなかいない(後でわかったことだが、空港の到着口は2か所あり、私が約束の場所でなく別の場所から出たことが原因であった)
そこに、あるタクシーの運転手らしき人が来て、私の旅行スケジュールを見て、「これだ、これだ、と言う感じで、こちらについて来い、と言うので、言われるままに車に乗った。・・・うーん、何か違う・・・?ホテルから日本語が出来るスタッフが一緒のはずなのだが・・・全然日本語が通じない・・・
途中、財布の中身を見せろといい、お金を全部持っていかれそうになったので、これは違うタクシーだと感じ、すぐに旅行代理店に電話した。もう、10分程度タクシーを走らせてからのことだった。
そのタクシーを途中でストップさせ、日本円で2000円支払った。このくらいで犯罪に巻き込まれないのなら、安いものだ、と考えたのである。相手も納得して、車を下してくれた。道の脇で旅行代理店からの迎えを待った。するとすぐ、別のタクシーが来た。そして、乗れというので、「あなたが旅行代理店からの車か?」と念を押すが、強引にバッグを車のリアに入れ、発車する。・・・これもまたおかしい?と思って、再び旅行代理店に電話する。今度は、旅行代店の担当者と、そのタクシーの運転手が私の携帯電話で直接話をする。
その結果、待ち合わせ場所を決め、旅行代理店からの車が到着した。やっとのことで、まともな日本語のガイドが付いた車に乗り込む。そして、ホテルに向かうが、えらい目にあってしまった。まるで、ダブルオーセブン(007)の世界だった。
のちに聞いたが、ベトナムの空港には、いまだにぼったくりのタクシー(白タク)がいるそうで、注意が必要であるとのことである。
これらのことで、やはり、海外での仕事は、注意深さや段取りが必要であることを改めて認識した次第である。
先日、市川海老蔵の妻、小林麻央が乳がんで亡くなった。34歳の若さである。彼女が、この世を去る前に語ったのが、「愛してる」の言葉だった。
「愛してる」という言葉には、非常に力があるように思う。
たとえ仲違いしているカップルであっても、「愛してる」って言葉が言えたら、それまで高ぶっていた感情が収まってくる。たとえ、言葉の点で言い合っていた間柄であっても、互いに傷つけあったとしても、「愛してる」の言葉で、仲直りすることができる。
「愛してる」という言葉は、魔法の言葉である。
聖書の言葉:
(コリント第一13:4~8)引用
「愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上がらず, みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず, 不義を歓ばないで,真実なことと共に歓びます。 すべての事に耐え,すべての事を信じ,すべての事を希望し,すべての事を忍耐します。 愛は決して絶えません。」
このような愛を持てたら、素晴らしいと思う。
事業を経営していて、感じることが一つある。従業員が、「頑張ります、努力します」と、勢いよくいう人に限って、「やらない」と言うことである。
今までに、いろんな人を見てきたが、「頑張ります」「自分を変えます」という人で、その通りになってきた人を見たためしがない。
「みんなうそつきだ!」もう少し穏やかに言っても、「みんなほら吹きだ」と言うことになるのだ。だから、会社の中で、朝礼の際に、営業目標を言って、「頑張ります」「○○します」と、声を大きくして言ってる姿を見るたびに、茶番劇を見ているような感じになる。
昔、ドリフターズの「8時だよ、全員集合!」という茶番劇があった。それと、大して変わらないことを、堂々と会社の中でやっているのである。特に、営業の会社がそうである。たぶん、そういう人たちは、自分がマイナスの精神状態なのを、奮い立たせるために言っているのだろう。ただ、今は、21世紀である。20世紀の精神論でやっていく時代ではない。
では、どうすれば、「8時だよ、全員集合!」にならないで済むのか?
組織だった会社では、すでに行っているところもあるが、PDCAサイクルと言う、自己分析型のスケジュールの立て方がある。
P(プラン)、D(ドウ)、C(チエック)、A(アクション)の略である。
一週間のスケジュールの立て方であれば、Pは、月曜日に立てて、Dを火曜日~木曜日に行い、CとAを金曜日にすると決めているところもある。
弊社の企画営業部は、このPDCAサイクルを活用しており、一週間の計画、実行、見直しなどを徹底するように指示している。特に、レベルアップのために、水曜日には、CAP会議を開いている。それは、C(チエック)、A(アクション)をよくやって、次のP(プラン)を立てていくのである。こうしたことを繰り返して、今度は、一か月のPDCAを組み立てていく。それを年間通じてやっていくのである。
大リーグのイチローは、「自分が他の人と違う点があるとするならば、同じことを繰り返し行っていく能力だ」と、言ったことがあるそうだ。成果を出す人は、何か特別なことをする人ではない。一つのことでも、愚直なまでに、繰り返し繰り返しやっていくのである。
だから、今、あなたがやっている仕事でも、繰り返し繰り返し行って、PDCAに従って、その仕事の質をレベルアップするように努力すればよいだけである。
そのような仕事をする人は、大声を出したり、精神論だけで語っていく人ではない。口先だけの人ではなく、静かに物事を進める人だ・・・
横浜のホテルに泊まって、朝食を取ると気づかされることがある。それは、ナポリタンがおいしいことだ。絶妙にパスタとトマトソースが絡み合い、甘酸っぱく仕上がっており、玉ねぎとソーセージはアクセントを加え、見るからに食欲をそそるものとなっている。
どうして、こんなにおいしいのだろうと同じ会社のスタッフに聞いてみると、山下町にあるホテルニューグランドの第二代総料理長入江茂忠が戦後に考案したものであると言う。つまり、横浜がナポリタンの発祥地であるというのだ。
確かにおいしい。ナポリタンと言うと、弁当の片隅に付け足しのようにちょこんと乗っている者だと思い込んでいたが、ここでは、主役として通じるものなのだ。
実は、このナポリタン発祥の説は、数々あるそうな・・・しかし、要はおいしく食べることができれば、どこが発祥地でもよいと思う。
昼間なら、波止場の汽船のボーっという音を聞きながら、ナポリタンを食べるというのも楽しいだろうし、夜であれば、ジャズが流れる中で、食事をするのも乙なものだ・・・
横浜で、ナポリタン・・・いかがですか・・・
江戸の敵は長崎で…という故事がある
この言葉は、以前受けた仕打ちを何かのことで立場が逆転し、敵を返すというような事で用いられる。
例えば、以前、しょっちゅう説教をされていた上司に対して、全体会議の時に、その上司のミスを指摘して恥をかかせることなどに用いられる。この故事の使い方は、人にうらみつらみが高じて、仕返しをするという意味ではないことは話しておこうと思う。
人は、その人生の中で立場が変化することはよくあることだ。別の言葉としては「負うた子に教えられる。」とか、「老いては子に従え」という言葉なども、立場が逆転することの例えとして、心に記しておきたいところである。
つまり、こうしたことの大事さがわかる人になれば、自分が影響力のある立場にいても、ふんぞり返ったり、高慢となったりすることを避けられるはずである。
人は基本、謙虚でなければならない。どんなに大企業の社長であっても、どれほど豊かになったとしても、自分が偉い人間であるとか、特別な人間であるとか、自惚れたりしないことだ。
人生の成功とは、その人の地位や名声、豊かさではないと思う。もちろん、そうしたものが伴っている場合は多くある。が、地位や名声、豊かさ以上に大切なことは、人間としての「あり方」だと思う。昔の人はよく言ったもので、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」という格言を残している。日本人でなければわからない言葉かもしれないが、みずほの国に生まれた私たちは、常に謙虚であることが必要なのだ。
4月11日、長崎で同業他社との総会が開かれた。この長崎に来た記念にこのコラムを記す。
簡単なことだけど、どうして人はわからないんだろう・・・と、思う事があります。
それは、人から好かれたければ、人から好かれるようなことを話したり、行動すれば良い。人から嫌われたければ、嫌われるようなことを話したり、行動すればよいのです。ただ、それだけのことです。
それだけのことなんだけど、自分は、個性が強いからと言ったり、こだわりがあるからと言ったり、自分の性格にあわないからと言ったり・・・変にカッコつけたりする人がいるけれど、それって、カッコいいのかな?と、思うんですけど・・・
人から嫌われているのがわからないで、何かをしない理由をもっともらしく説明している人がいるけれど、一番、カッコ悪いんです。あなたが!
会社の中でも、そうしたことを変にこだわって話す人がいるんです。あなたの会社にはいないですか?
「私は、こだわりがあるんです。私には、私のやり方があるんです。変える必要はありません。」
そういっているあなた、しっかりと嫌われていますよ・・・
簡単なことだけど、どうしてわからないんだろうニャ?
不思議だニァ?
僕らが目指す、その街は、一年前の傷跡がある。
鷲のつばさに乗って舞い降りた地から、
グリーンドラゴンロード※を通って、その街を目指す。
大きないかづちが二度も下ったその地は今、
復興に向かって急速に街のカラーを変えていく。
それまでグレーだったコンクリートは、
お城の石垣のように力強いコントラストをなしていく。
手が萎えた緑の木々は、再び、天に向かって伸びていく。
新しい息吹を得て・・・
人々は、その街を復興するために、力を合わせる。
寡黙な職人たちが、kumamoto のために、足並みをそろえる。
鳶、土工、鉄筋、大工、左官・・・
熊本城の天守閣は、誰が復興するのか?
その石垣は、誰が復興するのか?
全ての人々の目が、Kumamoto に向けられている。
全ての人々の手が、Kumamoto を支えている。
僕らは今、この街を創っていく・・・
そう、創っていくんだ・・・
力の及ぶ限り・・・
熊本城の叡智が明らかになるにつれ、
僕たちは畏怖の念を抱いてきた。
熊本の街は、誰が復興するのか?
そこに住む人々の絆は、誰が復興するのか?
僕たちだ・・・
(グリーンドラゴンロード※・・・第二空港線のこと)
一昨年、私が社長に就任したときに、目を疑ったことがあった。それは、就業規則に定年制が書かれてあり、60歳になったら、定年とあり、60歳を超えた後の従業員の給料が下げられていたのである。
当社は、建築の中でも専門工事業を主体としているために、職人が多い。今、職人は、59歳でも60歳でもその技能はほとんど変わらない。それが、60歳になったら、自動的に給料カットである。これではいけない、と思い、1年前に就業規則を変更した。それは、65歳が定年である。という内容だった。
これで十分かな?と、思っていたが、昨今の状況は高齢化社会に対応して定年の廃止を訴えている。ハローワークや行政関係は、定年廃止をする企業に対して、補助金などを用意している。
当社もその趣旨を理解して、今、定年制の廃止に向かって、社労士等と相談しているところだ。
もちろん、高齢になった職人は、現場での作業に関して、注意している事がある。それは、外部での高所作業を行わせない、また、重労働となる作業をさせない、などである。ただ、長年培った技能は、目を見張るものがあり、若い職人たちの模範となっている。
これらの年配の職人と、若い職人が互いを認め合い、協働して働く現場を創っていくことが、我々の任務であると感じている。