一般的に人をほめて育てることはよいことと思われている。確かにそうだ。しかし、「ほめること」について、知識がなければ、とんでもないことになってしまう。
それは、一時期流行った「ほめ殺し」についてである。ウキペディアによると、ほめ殺し(ほめごろし)とは、元々は対象をほめることでその対象を「だめにしてしまうこと」を指していたが、後にだめにすることを目的として「ほめる」ことをも意味するようになっている。
では、どんな時に、人をほめるとダメになるか?と言うことである。結論から言うと、できる人をやたらとほめると、ダメになる。と言うことだ。
その人が、できるのは当たり前であり、それ以上を目指さなければならない。そんな人にやたらとほめて、できない人を咎めるようにすると、たちまち、おかしなことが起きてくる。ほめられた人は、自分はできるんだと勘違いして、先輩たちから言うことを聞かなくなる。できない人がけなされていると、自分はダメだと思い込んで、学習意欲を失ってしまうのである。
では、どんな場合に、ほめたらよいのか?これも結論から言おう。能力が平均的な人、あるいは、平均以下の人が、努力を払った時に使うのである。そうすれば、その人たちは、自分のことに関心を持っていることに気づき、頑張るように助けられるのである。
よって、上長の人、人を育成教育する人たちは、基本的に、誰に対してもイーブンで接するようにして、時々、平均か、平均以下の人たちにほめるようにすると、やる気が起きて頑張るようになる。と言うことだ。
先日、二宮尊徳のことについて講演を聞いた時、その話し手の人は、できる人ができるのは当たり前で、その人をほめる必要はない。と語っていた。もっともなことである。
その人をダメにしたいのであれば、できる人をほめまくるとよい。そして、できない人をけなしまくるのだ。きっと、人の心は、離れていくだろう。
この点、V9時代の巨人の川上監督は、物事が分かった人だった。ゲームが負けた時には、みんなを整列させて、長嶋茂雄を前に出させ、徹底的に注意をした。できる人をけなしたのである。その結果が、V9と言う巨人の黄金時代を築いたのだ。
皆さんは、どう思われるだろうか?
このアドバイスは、私が若いころに人生の先輩から聞いた言葉である。人は、うまくいってなく、貧乏になっている人ほど、自分の人生がなぜうまくいかなかったのかを理路整然と話す。その時に、同情することはあると思うが、けっして、同調してはならない!と、その先輩は言うのだった。
なぜか、それは、一緒になって、泥沼に入っていくからである。泥んこの水たまりで汚れている人に、その人を助けるために、自分も泥んこになる必要はない。むしろ、警告を発して、その泥んこから抜け出すように、外側から声をかけることが必要である。
うまくいってない人のいうことに、耳を傾けて、必要以上に話を聞くことはない。ある程度で良い。その人がうまくいっていないのは、誰のせいでもない。その人自身のせいである!と言うことを、アドバイスできるかどうかだ! なんでも話を聞いて、「そうだね、そうだね」という人は、必ず、同調して自分も泥んこにはまっていくのである。そんな、間抜けな人になる必要はない。
貧乏になる人、うまくいかない人の共通点を教えよう。
それは、「我が強い」ということだ!どのように現れるかと言うと、私がのが、俺がのが・・・である。
私がしていることは、こうだから、それを支援してほしい・・・と、必ず言う・・・
そして、もっともらしく、理由を付ける・・・その理由に、間抜けな奴は、「そうだね、そうだね・・・」と、同調していくのである。
馬鹿な話だ・・・
そう、同情しても、同調してはならない!
「勝ちに不思議なことあり、負けに不思議なことなし!」
先日、講演を聴いた中で、興味深いことが話された。上記の言葉である。何か物事を行うときに、うまくいかなかったことや、失敗した場合は、必ず原因がある。しかし、成功する人、うまくいく人は、うまくいった理由を説明できないことが多い。不思議な勝ちをするのである。
成功した人について、質問をすると、「ただ、なんとなく・・・」「自分より先に成功した人のいうことを素直に従っただけで、特に自分で工夫した点はありません・・・」などと、返事が返ってくることがある。
成功しない人ほど、理屈で物事を考え、説明をしようとする。「成功する人は、特別なことをしているのだ・・・」と、考え、特別なことをしなければ成功できない・・・と、思っている。
しかし、物事を成し遂げていく人は、愚直なまでに基本の練習を繰り返したり、当たり前のことを当たり前のように行っている。
うまくいかない人ほど、自分が出来なかったことやうまくいかなかったことを念入りに話す。しかし、うまくいく人は、そんなことに思考や時間を使うのでなく、どうすれば成功できるかだけを考えて、愚直なまでに、自分がすべきことをやっているはずだ。
そう、勝ちに不思議なことあり、負けに不思議なことなし・・・
昨日、熊本市の商工会議所が主催するセミナーを聞いた。お好み焼き店の全国チェーンをしている会社で、大阪の千房㈱の代表取締役、中井さんの話が興味深かった。千房は、全国64店舗、フィリピン、ベトナム、タイなどにも出店している。
話の中で、特に興味深かったのは、銀座の高級クラブのホステスNO1がどんな人か?と言う話だった。まず、言われたのは、美人はNO1になれないということだった。・・・なぜか?答えは、美人は、相手に緊張させるからである・・・と言うことだ。お客さんのことを考えると、客は、リラックスするためにお酒を飲みに来る。かわいい人がいいようだ。
① 顔皮のいいひと=カワイイ人、と言うことらしい。
② 人の話を、興味を持って聴く人
アクション1、目で聴く
2、うなずく=打ち出の小づちを同じ・・・そう、そう、そう
yes、yes、yes
3、常に微笑む
4、ほめる・・・ほめるコツ
a、さすが・・・
b、すごい・・・
c、素晴らしい・・・
※大阪のおばちゃんのように、相手に関心を示して、人とかかわること・・・
ちなみに、大阪のおばちゃんで、検索してみてください。世界最強と出ていますよ!
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%81%B0%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93
また、話の流れの中で、非常に役立つことを聴いた!
それは、拍手の大切さである。拍手で人にエールを送ることである。落語や漫才などを生で見て、思いっきり笑うとき、割れんばかりの拍手をすると良いようだ。拍手しながら、自分にスイッチが入るそうである。
誰よりの大きな拍手をすることを心がけるだけで、人生が変わる。
拍手で心が切り替わる。
人にエールを送ることは、自分に返ってくるものらしい。
他にもいろいろと役立つことを聴いた。なるほど、なるほどと思いながらメモを取らせていただいた。
ありがとうございました。
千房㈱ 代表取締役 中井政嗣 様
昨日、会社の帰りに無性にラーメンが食べたくなった。それで、車で簡単に止めることができるラーメン屋さんに入ることにした。そこのラーメン屋さんは以前から気になっていたところであるが、なぜか、お客さんが少ない。入口の表示では、美味しそうな感じがするのだが・・・
うーん、大丈夫だろうか??と、思いながら、その店に入ることにした。ほかにお客さんはいない。
思い切って、そのラーメン屋さんに入ってみると、メニューは、壁に書かれている表札を見てくれと、店主が言う。カウンターの反対側に座ったので、照明の関係で、メニューが見にくい。
なんとか、これは!と、思えるところで、チャーシューメンを頼んだ。
熊本ラーメンと言えば、太麺で、きくらげと、卵が入っている。しかもとんこつ味である。と、思っていたら、そこの麺は、細麺である。・・・恐る恐る、店主に聞いてみた。
「替え玉ありますかね?」
店主は、ニコニコしながら、
「はい、あります」
とのこと・・・うーん、博多ラーメンじゃないか!違うぞ!・・・そう、心の中で言いながら、替え玉を注文した。
博多ラーメンだったら、紅しょうがでしょ!・・・そう叫びながら(心の中で)、きくらげじゃないよ!・・・以前、博多に住んでいた奴が、・・・ラーメンにきくらげはない!って、力説していたのを思い出した。
きくらげにゆで卵、チャーシュー、ネギ、そして細麺、替え玉有り、が、そこのチューシュー麺だった。
これって、本格派熊本ラーメン???
はぁ、疲れた・・・
強い組織を作るために何が出来るか?と言うと、「多能工」の仕組みを考案したトヨタ自動車の大野耐一元副社長のことを考える。
大野氏は、紡織工場では女子工員が1人で数十台の織機を操作していたのに対して、当時の自動車生産の現場では工員1人が1台の工作機械しか扱っていないことを課題と考え、工作機械の“多台持ち”を発案、さらに1人が複数の異なる工程を受け持つ“多工持ち”化を進め、ここから多能工の概念が生まれたといわれている。
このやり方を他の会社でも当てはめることが出来るのか?例えば、事務職で会社の社長が求人をしたとする。面接に来た人が、①、一般事務しかできない人と、②、一般事務のほかにもパソコンで経理が出来るとなると、当然、②、の人を採用するだろう。私なら、絶対そうする。
実際、弊社の事務員の一人は、一般事務だけでなく、テレアポを取れたり、ホームページの内容を更新したり、新たに作ったり、イラストを作成したりできる。別の社員は、一般事務だけでなく、テレアポを取れたり、経理も勉強しながら出来るようになっている。
要は、一つしか出来ない人は、今の時代、会社として必要とされていないということである。特に中小企業の場合、基本となる仕事をしながら、他にもいろいろなことが出来る必要がある。
そのように自分に出来ることの枠を広げることによって、人は自尊心を高めることが出来る。そう、仕事にプライドを持って取り組むことが出来るのだ。そうすることによって、社内の各人が生き生きとして強い組織を構築していくことになる。仕事に関して、社内でいろいろな資格を取らせることも助けになるだろう。
単能工から多能工、そして、さらに一人屋台と言う考えもある。一人屋台と言うのは、一人で、すべての工程が出来るようになるということである。
こうした過程を踏んで構築すれば、強い組織を作っていくことになる。
話の仕方として、直接話法と間接話法というものがあります。
よくある例として、親の言うことをなかなか素直に聞けなくて、反発する人がいます。しかし、考えて欲しいのは、親の立場の人が、いつも直接話法で、「ああしなさい」「こうしてはダメよ」と言ってませんか?
一般的な人間関係の場合、それがたとえ恋人でも友人であっても、直接的に「やめなよ」といつも言われると自分を否定されたような気分になります。むしろ、自分の身近にある事例を取り上げたり、例えで話す事によって、話を伝えることが必要です。
ある程度人間関係ができていても、直球で言われると受け入れるのは難しいのです。こういった「第三者(他人)の例」を使って伝えてあげる方法を『第三者話法』と呼びます。
もしあなたが、直接話法ばかりで話をしているなら、上下関係を生み出しています。注意が必要です。相手の人は、あなたを快く思っていないか、嫌っています。親子で大喧嘩するのは、親が直接話法ばかりで話していることが多いからです。会社の上司の立場の人は、特に心がけることです。
ただ、こういった心理テクニックは上手く使えばそれなりに効果的なので、ポイントを外さないようにする必要があります。複雑なテクニックではないので、初心者でもすぐに使えて効果も分かり易いテクニックだと言えます。
ここで、第三者話法のポイントをお話します。
「自分に”近い人”が上手くいっている」→「だから自分も上手くいくだろう」と良いイメージをしてもらうこと。これが第三者話法の大切な点です。
おもちゃを買ってとギャーギャーとねだっている子供も買ったらすぐに飽きて、また次のおもちゃをねだり始めます。好きな女性に必死でアプローチして付き合ったのに3ヶ月くらいで冷めてしまった、という経験がある人も少なくないと思います。これは、頭の中でイメージしている時の方が人は楽しいからです。逆に言えば、「イメージさせれば、欲しくさせる事ができる」のです。
上記のような点を心がけて、相手に伝える場合、
1.相手と状況が似通っている例を出す
2.具体的に話す
3.イメージを描きやすい。
よって、普段から心がける点として、
〇 直接話法ではなく、間接話法を用いる
〇 具体的に本人に合った状況をイメージさせる
〇 普段から、文字を読んで考えるのでなく、イメージを描いて考える習慣を持つ
ということです。
以上の点、お役に立てばと思います。
旅に出る朝は、いつも“ゆで卵”を食べる。なぜか?と聞かれても、別に縁起を担いでいるわけではない。・・・なんとなく・・・である。卵が好きなのだろうか?自分に問うてみても、“別に・・・”と、もう一人の自分が反応する。ただ、なんとなく旅が面白くなりそうな気がするだけだ。・・・なんていい加減な・・・と、自分に言ってみる。
“ゆで卵”といえば、子供の頃を思い出す。藤崎宮の秋の例大祭に勢子たちが追い回す飾り馬を見たいがために、おやじのお師匠さんの会社がある立町の二階の手摺から、勢いが良い飾り馬を見ていた。そして、その時の道向かいにあった小さな食堂のおでんが好きだった。特に、“ゆで卵”・・・そのおでんのゆで卵は、黄身が濃くってなんともいえない味だった。その時から、ゆで卵を好きになったような気がする。
“卵“と言えば、おふくろが遠足の時に作ってくれたサンドイッチのスクランブルエッグは、最高に美味しかった。遠足があるたびに、卵のサンドイッチを作って!とおふくろにせがんだものだった。その時の卵も、黄身が濃くってなんともいえないくらい美味しかった。
そういえば、おやじの実家で養鶏をしていた時がある。小学校の一年くらいの時だったと思うが、おばあちゃんが、生卵を売りに来ていた時があった。その頃で、一個10円もしていたから、“高いなー”と、思ったが、おふくろは気持ちよく何十個も買っていた。おばあちゃんがいろいろ大変なのを知っていたのだと思う。
こうして、思い出してみると、卵に関する出来事はいろいろとあったんだ・・・
だから、旅に出る朝は、“ゆで卵”なのかな・・・
そういえば、うちの社員で卵が嫌いなのがいたな・・・
こらっ、好き嫌いするなよ・・・美味しいのに・・・
台風21号が過ぎ去った。かなり大きな台風で、日本列島がすっぽり入るくらいの影響力があった。首都圏の空の交通、地上の電車などは、23日現在、運転運航を見合わせたままだ。九州は、昨日で台風が過ぎ去った。『台風一過』である。
小学生のころ、なぜか『台風一家』と、思いこんでいた。台風が、たて続けに来ると、『台風一家』と言う風に、勝手に解釈していたのである。本当のことを知ったのは、高校生くらいだったと思う。
あなたも、こうした勘違いをしていたことがあるだろうか?
勘違いとは違うが、実は、私たちが普段、何気なく使っている漢字で、歴史的に意図的に変えられたもののある。例えば、戦前は、和多志(わたし)と言う言葉が、使われていたものであるが、現在は、私(わたし)と言う言葉が使われている。日本において、「わたし」と言う言葉は、個人主義的な意味合いではなく、調和的な意味合いが含まれていた。しかし、「私」と言う漢字があてられることにより、「ム」と言う虚無的な意味が含まれるようになったといわれている。
また、「愛」と言う言葉も、本来は、「天意」と書いて「あい」と読んだそうである。「天意」とは、己から他に与えるものであり、与えることが「あい」であった。しかし、「愛」と表現することによって、受け取ることであり、愛は他から奪い取るという観念を植え付けられたとも言われている。
このように、我々が何気なく使っている言葉でも、本来の意味から外れて使われているものがある。
今、我々日本人は、美しい日本語の本来の意味に目覚め、本当の自尊心を取り戻すべきではなかろうか?
先週、横浜の事務所に4日間出張してきた。
9月25日に中国の留学生7人が入ってきたので、どんな子達か?と、思って事務所に顔を出した。まだ、22歳、23歳といった子達で、素朴なあどけない子達だった。見た感じは、昭和の日本の女子という感じで、20年から30年前の日本人の女性を連想してみると良い。
といっても、彼女たちは、中国の大学を出ており、中国で看護師の資格を持つ者ばかりだ。日本語の能力は、N1クラスの子達で、頭がいいのだ。それでも日本で仕事をするには、まだまだ勉強をしなければならない。
出身地は、北のハルピン、上海の北にある大連、南の福建省などといったいろんな所から来ている。
横浜の事務所で彼女たちの住む寮を完備し、提携している日本語学校で1年から1年半、教育を受ける。同時に、国際人財開発のプロのスタッフが日本での正看護師の資格を撮ることができるように徹底的に教育する。弊社の2人のスタッフは、看護師の経験があり安心して授業を受けられるようにしている。また、それとは別に通訳を備えて、中国人を細かな点でサポートしている。
弊社のモットーが、「人材育成」である。この子達が一人前の看護師として、日本の病院で働くようにすることが、我々のミッションである。
さて、七人の留学生、この子達が、七人のサムライになるのか?それとも、七人の大和なでしこになるのか?はたまた・・・
楽しみなところである。
10月から、日本語学校で教育が始まる・・・