ボブディラン 時代に流されなかった吟遊詩人

吟遊詩人(ぎんゆうしじん)とは、詩曲を作り、各地を訪れて歌った人々を指している。今回受賞したノーベル文学賞については、ボブディランが歌手というよりも、世界中を旅した吟遊詩人として評価されたものだと言える。

ボブディランは、デビュー当時から一貫して伝承歌を歌ってきたという点で、他のアーティストとは全く違う存在である。歌詞の意味も一つの単語に二重三重に込められているものもあり、英語をネイティブレベルで理解できる人でないと理解できない深さだと言われる。

 米国という、歴史が古くない国で伝統を作った人だからこそ、評価されたのではと言うのは、音楽評論家・湯川れい子さんの話である。

 ボブディランの曲の中に、「風に吹かれて」と言うのがある。

 「どれだけの砲弾を発射すれば、武器を永久に廃絶する気になるのか」「為政者たちは、いつになったら人々に自由を与えるのか」「一人一人にいくつの耳をつければ、他人の泣き声が聞こえるようになるのだろうか」「人はどれだけの死人を見れば、これは死に過ぎだと気づくのか」というプロテスト・ソング風の問いかけと、「男はどれだけの道を歩けば、一人前と認められるのか」「山が海に流されてなくなってしまうのに、どのくらいの時間がかかるのか」という抽象的な問いかけが交互に繰り返されたあと、「答えは風に吹かれている」というリフレインで締めくくられる。この曖昧さが自由な解釈を可能にしており、従来のフォークファンばかりでなく、既成の社会構造に不満を持つ人々に広く受け入れられることになった。

 この歌詞は、1962年に雑誌「シング・アウト!」に、ディランのコメントとともに掲載された。
「この歌についちゃ、あまり言えることはないけど、ただ答えは風の中で吹かれているということだ。答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。風の中にあるんだ、しかも風に吹かれちまっている。ヒップな奴らは「ここに答えがある」だの何だの言ってるが、俺は信用しねえ。俺にとっちゃ風にのっていて、しかも紙切れみたいに、いつかは地上に降りてこなきゃならない。でも、折角降りてきても、誰も拾って読もうとしないから、誰にも見られず理解されず、また飛んでいっちまう。世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると頭でわかっていても、目を背けるやつだ。俺はまだ21歳だが、そういう大人が大勢いすぎることがわかっちまった。あんたら21歳以上の大人は、だいたい年長者だし、もっと頭がいいはずだろう。」と、ディラン氏は語っている。

 アメリカ合衆国では、特に公民権運動を進める人々の間でテーマソングのようになり、やがて日本においても広く歌われるようになる。

 「古典文学や詩文が持つ知性」の息吹を音楽に吹き込んだと評価される歌詞は、文学界でも注目され、「歌詞を書かねばならないと思ったのは、私の言いたかったことを誰も書いていなかったから」とディラン氏は語っていた。

 「風に吹かれて」と言うと、何か時代に流されているように思えるが、ボブディランは、決して時代に流される人ではなかった。

 我々もどんなに時代が流れようとも、不変のものをしっかりと捉えて、生きていきたいものだ。・・・

2016年10月14日