江戸の敵は長崎で…という故事がある
この言葉は、以前受けた仕打ちを何かのことで立場が逆転し、敵を返すというような事で用いられる。
例えば、以前、しょっちゅう説教をされていた上司に対して、全体会議の時に、その上司のミスを指摘して恥をかかせることなどに用いられる。この故事の使い方は、人にうらみつらみが高じて、仕返しをするという意味ではないことは話しておこうと思う。
人は、その人生の中で立場が変化することはよくあることだ。別の言葉としては「負うた子に教えられる。」とか、「老いては子に従え」という言葉なども、立場が逆転することの例えとして、心に記しておきたいところである。
つまり、こうしたことの大事さがわかる人になれば、自分が影響力のある立場にいても、ふんぞり返ったり、高慢となったりすることを避けられるはずである。
人は基本、謙虚でなければならない。どんなに大企業の社長であっても、どれほど豊かになったとしても、自分が偉い人間であるとか、特別な人間であるとか、自惚れたりしないことだ。
人生の成功とは、その人の地位や名声、豊かさではないと思う。もちろん、そうしたものが伴っている場合は多くある。が、地位や名声、豊かさ以上に大切なことは、人間としての「あり方」だと思う。昔の人はよく言ったもので、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」という格言を残している。日本人でなければわからない言葉かもしれないが、みずほの国に生まれた私たちは、常に謙虚であることが必要なのだ。
4月11日、長崎で同業他社との総会が開かれた。この長崎に来た記念にこのコラムを記す。