もしドラ・・・

よかったー!落ち込まなくてよい材料を見つけた!前回のエッセイで、落ち込むなぁ・・・で終わってしまっていたので、落ち込まなくて済む考えをご紹介したいと思う。

7年ほど前に、「もしも高校野球の女子マネージャーが、ドラッカーのマネジメントをよんだら・・・」(略して「もしドラ」)と言う本を読んで、映画も見に行ったことがある。その中で、経営のノウハウを野球部のマネジメントに当てはめていくストーリーで、最終的に、その高校は、夏の甲子園の地区代表にまでなる!と言うストーリーだった。・・・まぁ、出来すぎかな?と言う感じだけど、結構面白かったことを覚えている。

そのストーリーの中で、監督の言うことについて、選手がよく理解できなくて、どうして監督は、そうした指示を出すのだろう?と、ブツブツ言ってる者たちがいた。ドラッカーの言葉を当てはめると、優れた組織の中には、トップの人間や主だった人達をサポートする、いわゆる「通訳」が存在していることが描かれている。

その「通訳」は、なぜトップの人間がそのように言うのか、なぜ主だった人達がそのような指示を出すのかを理解して、わかりやすく説明するのである。そうした役割を果たす人が、組織の中にいると非常に助かる。会社組織であれば、それは必ずしも側近だけでなく、事務員であったり、営業の人間である場合もある。そうした人たちが、「社長は考えがあって、そう言ってるのよ。しばらくすれば、その理由がわかるわ。」と信頼を示せば、「ブツブツ言ってた人間」が、わかってくる場合が多い。

いずれにしても、チームで物事を進めることによって、足らない点を補いあって、物事を進めるのだ。これが、単純にいつも個人プレーで物事を進めているのであるならば、大変なことなのだ。・・・誤解だらけ・・・人から中傷を受けたり・・・険悪な関係になったり・・・成功すれば人々からの称賛は大きいが、そうでなければ、良いことはあまりない。しかし、チームで物事を進める価値を見出した人たちは、それによって成長していくものである。それが、組織の良い点である。

このことを会議に置き換えて考えてみよう。会議でも、チームプレーを持ち込めば、役割分担が出来るはずである。受付、司会、プレゼンテーター、会場整理、それぞれがそれぞれの役割を担って、一つのことを成し遂げていく。会議がスムーズに進むのだ。すべてのことが出来る人間はめったにいない。しかし、自分の出来ることを建設的に用いることによって、多くのことを成し遂げていくことが出来るのだ。

そうした、チームプレーの中で、自分の欠点も改善し、成長する機会を得ることが出来るのである。そうした考えを「もしドラ」の中で、読んだ記憶が戻ってきた・・・

よかった!前向きに進めるぞ!

2018年2月24日

一番難しいこと

最近思うことが一つある。それは、コミュニケーション能力に関することである。と言っても、なーんだ、と思うかもしれない。コミュニケーションは、基本的に、相手にその情報が伝わることが大切である。よく、会社の従業員には、こちらが、なにを言ったからといって、相手に伝わっていなければ、なんの価値もない。と、口を酸っぱくして話している自分がいる。しかし、だ・・・

客観的な事実や、出来事については、相手にきちんと伝わっていても、自分の気持ちがどれほど相手に伝わっているのだろうか?と、考えたときに、雲行きが怪しくなってくる・・・
自分は、そんの気持ちじゃなかったのに・・・、逆に、自分は、そんな気持ちを抱いていたのに、相手に全然理解されてない・・・と、感じることがある。

こんなことで、葛藤したり、苦悩したりするのか・・・

そういえば、昔を振り返ったときに、思い出されることがある。小学校の6年生の時に、クラスに可愛い女の子がいた。その子に自分が好意を抱いていたのであるが、ぜんぜん、その子は自分のことに関心なんて持っていないと思っていた。中学校になったのを機会に、その子のことを忘れていた。あるとき、私の母親が、その子のお母さんと、たまたまPTAの会議の時に会って話したのだが、「〇〇ちゃんは、私のことを毎日、学校から家に帰ってきてからはなししているそうだよ」・・・という事だった。「へー、そうなの?なんの話をしてるんだろ?」、ひまなやつだな・・・と、思ったぐらいでそれ以上のことは考えなかった。

そうしているうちに、中学の3年間が終わり、卒業が間近になってきた頃、ほかのクラスの女の子から話があって、私のことをずーっと、好きな子がいるから会って欲しい・・・とか言ってきた。「なんじゃ、そりゃ、めんどくさいな・・・」そう思って、会ったら、「えっ、〇〇!」「なんで・・・今頃・・・」

なんて、鈍感なやつなんだ!バカバカバカ・・・と、自分のことを責めた。・・・

人によって、難しいことは、いろいろと違うかも知れない。しかし、私の場合、自分の気持ちを伝えることが一番下手なんじゃないだろうか?そして、相手の気持ちを汲むことも下手くそなんだろう・・・と、思う。・・・はぁ・・・

落ち込むなぁ・・・

2018年2月24日

新入社員が困らないためのポイント!

◆会議に向けての段取りについて
① 会議に臨む上での段取り≒報連相
決まり文句でオススメは「ちょっとご相談」「念のためご報告(連絡)」の2つです。
何の根回しもなく突然大勢の前で提案しようとすること、その提案を通すためのハードルが途端に高くなります。
「自分はそんな話を聞いていない」となり、慎重になるからです(それにいい気もしないし)。
1対1もしくは部署ごとに会議での提案内容を事前に周知しておくと、会議で端的に発言したとしても「あ、先日言っていたやつね♪」とスムーズに受け入れることができます。
会議はあくまでも「共通認識をもつ場」であり、ディベートのような雰囲気は望まれず、「結果を想定した上で進める」ことが理想的です。
根回しと聞くと、ネガティブな印象も持つ人もいるが、仕事をする上でとても重要な工程なのです。
(同類語:外堀を埋める、社内営業 等)

② 上級編:責任者が2人いる場合、確認をとる順番は?
3つ方法が考えられます。
1. 上司(上)が主導権を握っている場合は、上司(上)に指示を仰ぎ、上司(下)へは結果報告を行う。
2. 上司(上)が上司(下)にある程度任せている場合は、上司(下)に相談し、上司(上)には上司(下)から報告してもらう、もしくは上司(上)への報告の際に同席してもらう。
3. 2人が同時に居合わせたタイミングを見計らって話しかける。

◆社内での立ち振る舞い(人間関係について)
③ 挨拶の大切さ
部活動でも経験済みかもしれませんが、挨拶はとても大切です。
返事がなくても投げかけ続ける…!継続すれば挨拶を返してくれるようになる場合がほとんどです。
上司との会話のきっかけ(情報収集のチャンス)になります。(上司が「わざわざ言うほどでもないかな」と思うことを聞くことができる。中には重要な内容もあるので)
話しやすい雰囲気を作りだす。
挨拶をする上で心がけることは、大きな声で挨拶をすることです。また、面識がない人の前では、最初に名乗ってから発言するようにしましょう。

④ ルールの基盤は、会社ごとで違う。
相談の仕方や会議の進め方は会社ごとで異なります。明確な正解がないので、「要領が悪いのでは?」と感じることがあっても、諸先輩方が作り上げた習慣を新入社員が変えるのはとても難しいです。
無力な新人に出来ることは、慣れる・馴染む・溶け込むこと。たとえ腑に落ちなくても、まずは会社のルールに従って動くことです。経験を積むと、なぜこんなにも非効率なのか、その背景にある問題・原因が見えてくる。その上で改善策を提案する方が無難です。当人のスキルや会社の雰囲気にもよりますが、少なくとも1~2年働いてからかなと思います。
懇意にしてくれる人がいて、その人に聞かれれば、言ってもいいかもしれません。仕事に慣れてしまうと感覚が鈍ってしまい、新入社員が抱く印象が新鮮に感じることがあるからです(ただの愚痴にならないように、具体的な解決策があればそれも添えて言うと ◎ )。

⑤ 嫌な感じの人にこそ笑顔を心がけて接する。
仕事仲間に好きも嫌いもないと諸先輩達は言いますが(結局はそうなのですが)、入社間もない時期は「上の人に嫌われて居場所がなくなる」といった不安もあり、必要以上に傷ついてしまう場合もあるでしょう。
ですが、好きも嫌いも仕事をしている上ではないのが結論です。(執拗に嫌がらせをする人は、そもそも社会人として未熟な人です。本気にとりあって、衝突などしないように受け流しましょう。波風は立てると立場が弱い方が損をします)。相手が求める社員像を演じて、懐に入り込めばこっちのものです。

⑥ 社会人にとって時間のルーズさは信用に関わる大きな問題
学校で遅刻をしても先生に怒られ反省文を書く程度ですが、社会人にとって時間を破ることは信用問題に関わります。社会人にとって信用を失うということは最も大きく、そして取返しのつかない失敗です。
約束の時間に遅れる場合は、築き上げた信用を失わないよう前もって連絡します。時間を過ぎてからの連絡は言い訳ととらえられてしまいます。
積雪による渋滞など、通常通りに向かえば遅れてしまうと事前に分かっている状況では、対策をせずに遅れてしまうと「積雪のため遅刻しました」もまた言い訳となってしまいます。

◆社内での立ち振る舞い(評価される仕事ぶりについて)
⑦ 「報告は結果から」と言われるが、そうでもない。
相手によって使い分けるのが現実的です。初回ではセオリー通りに結果から話し、相手の反応を見て見極めると良です。(間違えていた場合はイラっとされるからすぐ分かるぞ^^)
医療現場において、「松本さんが40度の熱発です」ではNGです。いつどんな状況下で発熱しているのかを、簡単に経緯を踏まえつつ結果を報告する必要があります。この方法は、他部署で詳しい事情を知らない人に対して応用できます。相手の考えをまずは認めてから意見を述べると ◎
報告において3つの選択があります。①タイミング ②所要時間 ③手段(口頭、メモ、メール等)
報告する手段の3種類は、それぞれ効果が違うので、報告相手や情報内容によって使い分けます(あるいは併用します)。
口頭 :(メリット)相手の反応を即受け取ることができる。
(デメリット)形に残らない、相手の時間を奪う。
メモ :(メリット)相手が読む時間を決められる。メールよりも確実に届く。
   (デメリット)相手の反応が遅くなる場合がある。
メール:(メリット)相手が読む時間を決められる。証拠になる。
    (デメリット)相手の反応が遅くなるか、見逃す場合がある。
「言ったつもり」は危険です。報告した後に時間をおいて、再度確実に伝わったか確認をすることが大切です。

⑧ タイマーを最大限活用する
時間指定の仕事は実に厄介です。例えばあと2時間後にお客様に電話を掛けるとすると迫る時間が気になって業務に集中できません。そんな時にタイマーを使えば、タイマーが鳴るまで時間を気にすることなく作業に集中することができます。今はスマホでリマインダーや予定表から通知をすることもできます。便利な道具はどんどん活用しましょう。
オススメ機能:Windows の「Sticky Notes(付箋)」機能。PCの画面上に付箋を配置することができます。

⑨ スピードより正確さが求められる
事務作業を行う場合、新人に求められることはスピードよりも正確さです。どんなに完成を急いでも、ミスが1つあればそれは完成とはいえません。ミスが発生すると、リカバリーに時間を取られてしまいます。スピードよりも正確に作業を進め、仕上げに自分で確認を行うことで、結果的に急いで作業した場合よりも早く作業が終わらせることになります。

⑩ すぐにできない業務は忘れないように書き出す。業務整理の時間はケチらない。
オススメ方法:付箋1枚につき1作業を書く→机上に貼り付ける(優先順位を決めて並べ替える)→終わったものから「済スペース」に移動させていく、もしくは業務報告書に直接貼り付けると書き写す手間が省けます。

⑪ 自分で判断しない
社内の役職によって自ら判断を任せられる範囲が決まります。新入社員が任せられる判断範囲は、ほぼゼロであることを自覚しましょう。判断を任せられる人というのは、たとえ失敗だとしてもその責任を自分で負える人です。
何らかのイレギュラーやアクシデントに見舞われた場合、自分で判断することはNGです。すぐに社内の先輩や上司に報告し、判断を仰ぎましょう。「自分はこう考えるが、このまま進めて良いか」といった確認をすると好印象です。

◆少し元気になる話
⑫ みんなミスをする
多かれ少なかれ、小さくも大きくも、誰でもたいていミスをします。涼しい顔をしている人もミスはしているのです。経験を積み重ねていけば、リカバリーの仕方が上手くなっていきます。

⑬ 仕事は、会社にいればいるほど楽になる。
新人は細々とした時間ばかり取られる仕事が多く、要領も得ていないので自分の不甲斐なさに落ち込むことがあるでしょう。しかし、1年間過ごすと徐々に変わります。勤続年数が2~3年になれば、おのずと責任や業務量も増えていきますが、仕事の要領も良く時間の短縮ができ、仕事量を自分で調整することを習得するからです。入社して1年間は、与えられた作業を一つ一つ確実にこなしていくしかありません。踏ん張りどころです。
ただ、昇進をすれば責任が増し部下を監督するという大きな壁があります。

⑭ 「仕事が出来る」は、結果を出す(会社に利益を生む)こと?結果が芳しくない場合は、過程を見直す?
営業職をしていると結果を出すことが第一に求められますが、世間には結果が見えない業種もたくさんあります。
新人の頃は、仕事を覚えることが第一で、結果を出すこと(会社に利益を生む)はまだ先の課題です。
仕事がしやすい環境を作ることが、仕事が出来ることへの近道だと思います。
明るく挨拶を行うことも、事前の段取りを念入りにすることも、全ては自分が仕事をしやすくすることに繋がります。

⑮ ミスをしても固執しない。切り替えが上手くなれば傷は広がらない。
ミスには2種類あります。1.お客様が直接困るミス 2.お客様が直接困らないミス
1は大変なことですが、2は大きく括ればミスとは言いません。いくらでも取返しがきくからです。
お客様を困らせないことを中心に据えれば、おのずと確認に掛ける優先順位(時間配分)も定まってきます。

2018年2月22日

第三者話法

話の仕方として、直接話法と間接話法というものがあります。

よくある例として、親の言うことをなかなか素直に聞けなくて、反発する人がいます。しかし、考えて欲しいのは、親の立場の人が、いつも直接話法で、「ああしなさい」「こうしてはダメよ」と言ってませんか?

一般的な人間関係の場合、それがたとえ恋人でも友人であっても、直接的に「やめなよ」といつも言われると自分を否定されたような気分になります。むしろ、自分の身近にある事例を取り上げたり、例えで話す事によって、話を伝えることが必要です。

ある程度人間関係ができていても、直球で言われると受け入れるのは難しいのです。こういった「第三者(他人)の例」を使って伝えてあげる方法を『第三者話法』と呼びます。

もしあなたが、直接話法ばかりで話をしているなら、上下関係を生み出しています。注意が必要です。相手の人は、あなたを快く思っていないか、嫌っています。親子で大喧嘩するのは、親が直接話法ばかりで話していることが多いからです。会社の上司の立場の人は、特に心がけることです。

ただ、こういった心理テクニックは上手く使えばそれなりに効果的なので、ポイントを外さないようにする必要があります。複雑なテクニックではないので、初心者でもすぐに使えて効果も分かり易いテクニックだと言えます。

ここで、第三者話法のポイントをお話します。

「自分に”近い人”が上手くいっている」→「だから自分も上手くいくだろう」と良いイメージをしてもらうこと。これが第三者話法の大切な点です。

おもちゃを買ってとギャーギャーとねだっている子供も買ったらすぐに飽きて、また次のおもちゃをねだり始めます。好きな女性に必死でアプローチして付き合ったのに3ヶ月くらいで冷めてしまった、という経験がある人も少なくないと思います。これは、頭の中でイメージしている時の方が人は楽しいからです。逆に言えば、「イメージさせれば、欲しくさせる事ができる」のです。

上記のような点を心がけて、相手に伝える場合、

1.相手と状況が似通っている例を出す

2.具体的に話す

3.イメージを描きやすい。

よって、普段から心がける点として、

〇 直接話法ではなく、間接話法を用いる
〇 具体的に本人に合った状況をイメージさせる
〇 普段から、文字を読んで考えるのでなく、イメージを描いて考える習慣を持つ

ということです。

以上の点、お役に立てばと思います。

2018年2月21日

強い組織を作るために・・・

強い組織を作るために何が出来るか?と言うと、「多能工」の仕組みを考案したトヨタ自動車の大野耐一元副社長のことを考える。

大野氏は、紡織工場では女子工員が1人で数十台の織機を操作していたのに対して、当時の自動車生産の現場では工員1人が1台の工作機械しか扱っていないことを課題と考え、工作機械の“多台持ち”を発案、さらに1人が複数の異なる工程を受け持つ“多工持ち”化を進め、ここから多能工の概念が生まれたといわれている。

このやり方を他の会社でも当てはめることが出来るのか?例えば、事務職で会社の社長が求人をしたとする。面接に来た人が、①、一般事務しかできない人と、②、一般事務のほかにもパソコンで経理が出来るとなると、当然、②、の人を採用するだろう。私なら、絶対そうする。

実際、弊社の事務員の一人は、一般事務だけでなく、テレアポを取れたり、ホームページの内容を更新したり、新たに作ったり、イラストを作成したりできる。別の社員は、一般事務だけでなく、テレアポを取れたり、経理も勉強しながら出来るようになっている。

要は、一つしか出来ない人は、今の時代、会社として必要とされていないということである。特に中小企業の場合、基本となる仕事をしながら、他にもいろいろなことが出来る必要がある。

そのように自分に出来ることの枠を広げることによって、人は自尊心を高めることが出来る。そう、仕事にプライドを持って取り組むことが出来るのだ。そうすることによって、社内の各人が生き生きとして強い組織を構築していくことになる。仕事に関して、社内でいろいろな資格を取らせることも助けになるだろう。

単能工から多能工、そして、さらに一人屋台と言う考えもある。一人屋台と言うのは、一人で、すべての工程が出来るようになるということである。

こうした過程を踏んで構築すれば、強い組織を作っていくことになる。

2018年2月21日

モンスタークレーマー!

会議を開いていて、一番困るのは、モンスタークレーマーが存在することだ。これまでに私が経験したことで、マンションの管理組合が住民のために開く会議に参加したときに、あるクレーマーに対して、ただただ頭を下げるだけで、何も言えなくなる状況を見てきた。では、今までに存在したクレーマーの中で、最もたちの悪い存在とは何だろうか?実は、ユダヤ教、キリスト教の聖典と言われる「聖書」の中のヨブ記に記されている。

ヨブ記の一章には、天での会議が開かれた際、全能者なる神と天使たちが集まっているその中に、サタン悪魔と呼ばれる者が突然現れたことが記されている。神々の会合の場に、突然、モンスタークレーマーが出現したのである。サタンと言うのは、反抗するもの、反逆者を意味している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨブ記1章6節~・・・・・・・・・・・・・・・1
1:6ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。
1:7主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」
1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
1:12 主はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。
1:13 ある日、彼の息子、娘たちが、一番上の兄の家で食事をしたり、ぶどう酒を飲んだりしていたとき、1:14 使いがヨブのところに来て言った。「牛が耕し、そのそばで、ろばが草を食べていましたが、1:15 シェバ人が襲いかかり、これを奪い、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」1:16 この者がまだ話している間に、他のひとりが来て言った。「神の火が天から下り、羊と若い者たちを焼き尽くしました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」1:17 この者がまだ話している間に、また他のひとりが来て言った。「カルデヤ人が三組になって、らくだを襲い、これを奪い、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」1:18 この者がまだ話している間に、また他のひとりが来て言った。「あなたのご子息や娘さんたちは一番上のお兄さんの家で、食事をしたりぶどう酒を飲んだりしておられました。1:19 そこへ荒野のほうから大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、それがお若い方々の上に倒れたので、みなさまは死なれました。私ひとりだけがのがれて、あなたにお知らせするのです。」1:20a このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、1:20b 「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」1:22 ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨブ記1章22節・・・・・・・・・・・・・・・・1

天の集会の際に、他の者を差し置いて、神に対してモンスタークレーマーとなったサタンは、ヨブが祝福を受けているのは、あなた(神)が、祝福をしているからだ!と、主張します。
それに対して、神はヨブに対して災難をもたらすことを許されます。その後、どうなるでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨブ記2章1節~・・・・・・・・・・・・・・・2
2:1 ある日のこと、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンもいっしょに来て、主の前に立った。2:2 主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」2:3 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。」2:4 サタンは主に答えて言った。「皮の代わりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。2:5 しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」2:6 主はサタンに仰せられた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」2:7 サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。2:8 ヨブは土器のかけらを取って自分の身をかき、また灰の中にすわった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨブ記2章8節・・・・・・・・・・・・・・・・2

このように物語は、進んでいきます。多くの批評家たちは、ヨブ記が難解な書物であると言います。「人が神に仕えるのは、神から祝福があるからだ!」と、サタンは主張します。まぁ、言ってみれば、あの人たちは、優遇されているから一生懸命仕事するんだよなぁ・・・と、言ってる感じです。その後どうなったかについては、ヨブ記を読めばわかるはずです。

いずれにしても、モンスタークレーマーは、急きょ、会議に出席し、その場を独占してしまい、自分の我を通そうとする・・・と言う特徴がつかめます。そんな人が、会議に参加した場合は、「くわばら、くわばら・・・」と、言って逃げることですな・・・

2018年2月20日

日本の神話に出てくる会議!

神々が会議を開いている!と言うことを想像したことがあるでしょうか?実は、「古事記」と言う古い書物によると、神代の時代に、神々が会議を開いたことが記されています。どんな会議だろうと、思いますか?次のような会議でした。

===============◇◇◇===============1

高天原にある天の岩戸に天照大御神がお隠れになってしまわれたために、高天原と中津国から太陽の輝きが消え失せ、すっかり暗闇に覆われてしまいました。そのために神々の不満や怨差の声が聞こえ初め、たくさんのわざわいが起り出しました。

「どうすれば天照大御神を岩戸から連れ出すことができるだろうか」

非常召集令によって天の安の河原に八百万の神々が集まり、 解決策を練るために、高天原会議を開くことになったのでございます。

その席で『造化三神』の一人『たかみむすひ』の神の子で、高天原一の知恵者、思金(おもひかね)の神が名案を出しました。八百万の神々も満場一致でその意見に賛成し、さっそく準備が始まりました。・・・

===============◇◇◇===============1

なーんだ、天岩戸開きの話か・・・と、思われるでしょうか?しかし、これもまた立派な会議のスタイルになっているのです。

問題が発生し、非常招集令によって会議が始まり、解決策を出すために、いろいろな意見を出してもらい、ある知恵者の意見が注目され、それによって解決策の方向性が出ます。その結果、会議の大多数で決定され、実行されていくのです。

我々人間が、普通に行っている会議とそれほど変わりはないでしょう。逆に、神々が人間臭く思えます。

続きの話は、次のようなものです。

===============◇◇◇===============2

天照大御神を誘い出す大宴会の準備は大わらわです。こうして、岩戸の前には八百万の神々が、わいわいがやがやと勢ぞろい されました。

そこへ登場してきたのが神々の人気者、あめのうずめ(天宇受 売)でございました。天の香久山のひかげのかずらをたすきにかけ、正木のかずらを髪飾りにし、魔よけの笹の葉を手に持っています。

そして、ステージがわりの大きな桶を伏せてその上に乗り、とんとんリズムをとりながら面白おかしく踊り始めました。

桶は打楽器のように大きな音を鳴り響かせています。調子に乗ったあめのうずめは、次第、次第に神がかり状態になり、踊り狂い出したのでございます。・・・

===============◇◇◇===============2

「あめのうずめ」と言う神様が、宴会の途中で踊り始めます。我々人間も、様々な機会に会議が開かれ、そのあと、懇親会と言う名目で宴会が開かれます。それと似ていますね。なお、神様事が終わった後の宴会のことを、「直会」(なおらい)と言うそうです。さて、その宴会の後に、何が起きたのでしょうか?

===============◇◇◇===============3

外にもう一人のたいそうりっぱな神様がいることを不思議に思われた天照大御神は、岩戸からほんの少し体を乗り出しました。その瞬間、隠れていた手力男(たじからお)が天照大御神の手をつかみ、怪力でぐいと外に引っぱり出したのです。そして、すぐにふとだまが岩戸に『しめ繩』を張り、

「これで二度とお隠れになることはできません」

と岩戸の前に立ちふさがりました。

このとき、怪力の手力男が力まかせに岩戸を開けたので、その勢いで戸がはずれて下界に落ちてしまいました。はずれた戸の落ちたところが信州の戸隠山だといわれております。

高天原一の知恵者、思金(おもひかね)の神のはかりごとは、こんな風につつがなくとてもうまく運びました。このようなわけで高天原と中津国に光がふりそそぎ、ふたたび明るくなったのでございます。神々は、太陽の神、天照大御神のすばらしさを前にも増してほめたたえました。

昔から、暗いときには楽しく笑い遊ぶことが最良の方法(笑う門には福きたる)だったのでございます。

お手柄のあめのうずめは、このとき以来、芸能の神、お神楽の元祖となりました。

===============◇◇◇===============3

いかがでしょうか?その宴会の後に、問題が解決されている事を知ることが出来るでしょう。これらの話の一連の流れは、会議を始め、懇親会を進めて、問題が解決されることになるということを示しているのかもしれません。

今度、同じような会議に出席する機会がある方は、神代の時代に、神々が会議を開いたことを思い出してくださいませ。・・・

2018年2月19日

多数決が本当に必要なとき・・・

会議が始まって、驚くべき光景を目にすることがある。それは、議事が載せられれいるシートを配られ、いきなり、反対か賛成か挙手するように求められるときである。あるいはまた、話し合いがぜんぜん出来ていない時に、投票などを求められるときがある。それは、古代ギリシャにおける衆愚政治を思い出す。

衆愚政治というのは、簡単に言えば「馬鹿な大衆が主権を持っているせいで、国政も愚策ばかりを打ち、結局、国そのものが傾いてしまう」という残念な状態を指している。

つまり、なんにも考えがなく集まっている群衆には、懸命な決定を下すことができないということである。古代ギリシャのプラトンも「哲人政治」を推め、愚かな大衆に支配されることをよしとはしなかったと言われている。

では、どんな時が、多数決を必要とするのだろうか?

それは、十分に論議がなされた時である。反対、賛成のそれぞれの立場から、いろいろな意見が出て、議論がなされていったとき、最終的に、多数決が必要になる時がある。それで、意見が多い方の考えを取り入れて進めていくことができる。

しかし、そうした時に、気をつけなければならないことがある。それは、「全員一致」という状況になったときは、もう一度、話し合いを元に戻して、議論するようにしなければならない。ドラッカーのマネジメントの中で、こうしたことが書かれており、私は最初、このことを知ったときはびっくりした。「全員一致」のどこがいけないのだろう?と、思ったのである。

ドラッカーの本を更に読んでいくと、その理由がわかってきた。感情に流されて、「全員一致」になったとして、それを行政や民間の会社などが推し進めた場合、何らかの理由で不具合が生じた時に、どうしようもなくなるのである。しかし、少数の反対意見が出ていたのであれば、その対案に従って、別のやり方で物事を進めることができるのである。だから、全員一致の時は、もう一度、「論議のやり直し」というのは、考えさせられるものである。それでも、物事は進めていかなければならないので、少数の反対がありながらも、多数決で決まったことを進めていくというやり方が、懸命なやり方であるということを、覚えておきたいものである。そして、そのときこそ、十分に、議論が尽くされた後のことであることも付け加えておこう。

これが、本当の多数決のやり方である。

2018年2月17日

目で聞いて、耳で見る!

以前聞いた話だが、人の話は「目で聞いて、耳で見る」ように、勧められていることがあった。これは、どのような意味があるのだろうか?と、考えてみた。「目で聞く」とは、相手が話をするときに、注目して、一生懸命に聞くことを意味している。そして、「耳で見る」とは、耳で聞きながら、情景を思い浮かべるようにすることを意味するらしい。

いみじくも聖書の中で、イエスキリストが、「どのように聴くかに注意を払いなさい」と、教えられていたことを思い出す。人は、「聞き方」によって、気づきを得ることがあるし、「見方」によって、物事がわかってくることがある。

通り一遍の話の聞き方、物の見方では、決してわからないことも、真剣に物事を見たり、聴いたりすることによって、真実な姿がわかってくる。物事の本質、人の本質を知るということを目指して、「目で聞いて、耳で見る」ということを、心がけるとよいと思う。

人は、上辺だけの人間関係を築こうとするのであれば、そうした人生を送ることはできる。しかしながら、真実を求めて生きていくのであれば、「目で聞いて、耳で見る」ということを心がけるべきだろう。ただ、この場合、リスクがある。真実を求めれば求めるほど、苦難な道を歩む人が多い、ということだ。昔で言うならば、修験者が、山にこもって修行をしたりして、宗教的なことに関わる場合もあるだろう。現代においても、真実を知ろうとすれば、人の痛みや悲しみが余計に分かってきて、ストレスを溜め込むことになるかも知れない。

ただ、人は、それぞれ自分の荷を負って、生活していかなければならない。自分が果たすべき責任はあるのだ。あまりにも他の人のことに気遣って、なんでもしてあげることは、本人のためにならない。きついようだが、ある場合、突き放すようなこともしないと、甘えてしまって、その人の成長がない場合がある。そのあたりの程度を見極めるのは難しいが・・・

いずれにしても、適度なところで、人の話は「目で聞いて、耳で見る」ようにしたいものだ。

こうしたことは、会議の場においても、相手の意見をしっかりと捉える助けになるだろう。

2018年2月17日

反対意見には対案を示す!

昔、「なんでも反対、社会党」と言う、皮肉めいた言葉があった。当時、自由民主党に対して、野党の筆頭にいたのが、社会党と言う党であった。(今は、もうこの党はない)この社会党は、なんでも反対する党であった。

会議が始まると、いつも反対する人がいるだろうか?では、その人は、反対すると同時に、「対案」を持っていなければならない。これは、政治の世界では当然のことであり、この「対案」を持っていないで、反対ばかりしていると、それを見ている人たちから総スカンを食らうのである。

現在、日本国において、自由民主党ばかり巨大になって、野党の勢力が小さくなってしまっている。これは、なぜだろうか?それは、反対をするばかりで、対案を持っていないで議論を続けた結果である・・・と言う見方もできるのではないだろうか?

どうせ、野党が政権を取ったところで、自民党以下の決定や行動しかできない。と、多くの国民は思ってしまっている。実際、村山政権の時の社会党、鳩山、菅内閣の時の民主党などの政策決定、国家的災難と言う緊急事態に対する対応などを見ていると、やはり、自民党しかないのかな?と思ってしまうのは、議会制民主主義の国家として、レベルが低いような気がする。

では、会社の中や、様々な機会に会議を行う場合、こうした教訓は、どのように生かすことができるのだろうか?

やはり、「反対の意見を持つ場合、「対案」をしっかり持った上で、議論に加わらなければならない。」ということである。様々な見地から物事を考え、一つのことを検討する必要がある。

そして、議論が十分に検討されたなら、最終的に決定したことについて、反対した側も協力する立場をとっていかなければならない。もしその最終的な決定が間違っていることに気づいたなら、「対案」として出していたことを見直し調整して、そちらの案で物事を進めていくことも良いだろう。

このようにして、会社や様々な機会に、会議を生きたものにしていくことができるのだ。

2018年2月17日