以前聞いた話だが、人の話は「目で聞いて、耳で見る」ように、勧められていることがあった。これは、どのような意味があるのだろうか?と、考えてみた。「目で聞く」とは、相手が話をするときに、注目して、一生懸命に聞くことを意味している。そして、「耳で見る」とは、耳で聞きながら、情景を思い浮かべるようにすることを意味するらしい。
いみじくも聖書の中で、イエスキリストが、「どのように聴くかに注意を払いなさい」と、教えられていたことを思い出す。人は、「聞き方」によって、気づきを得ることがあるし、「見方」によって、物事がわかってくることがある。
通り一遍の話の聞き方、物の見方では、決してわからないことも、真剣に物事を見たり、聴いたりすることによって、真実な姿がわかってくる。物事の本質、人の本質を知るということを目指して、「目で聞いて、耳で見る」ということを、心がけるとよいと思う。
人は、上辺だけの人間関係を築こうとするのであれば、そうした人生を送ることはできる。しかしながら、真実を求めて生きていくのであれば、「目で聞いて、耳で見る」ということを心がけるべきだろう。ただ、この場合、リスクがある。真実を求めれば求めるほど、苦難な道を歩む人が多い、ということだ。昔で言うならば、修験者が、山にこもって修行をしたりして、宗教的なことに関わる場合もあるだろう。現代においても、真実を知ろうとすれば、人の痛みや悲しみが余計に分かってきて、ストレスを溜め込むことになるかも知れない。
ただ、人は、それぞれ自分の荷を負って、生活していかなければならない。自分が果たすべき責任はあるのだ。あまりにも他の人のことに気遣って、なんでもしてあげることは、本人のためにならない。きついようだが、ある場合、突き放すようなこともしないと、甘えてしまって、その人の成長がない場合がある。そのあたりの程度を見極めるのは難しいが・・・
いずれにしても、適度なところで、人の話は「目で聞いて、耳で見る」ようにしたいものだ。
こうしたことは、会議の場においても、相手の意見をしっかりと捉える助けになるだろう。