多数決が本当に必要なとき・・・

会議が始まって、驚くべき光景を目にすることがある。それは、議事が載せられれいるシートを配られ、いきなり、反対か賛成か挙手するように求められるときである。あるいはまた、話し合いがぜんぜん出来ていない時に、投票などを求められるときがある。それは、古代ギリシャにおける衆愚政治を思い出す。

衆愚政治というのは、簡単に言えば「馬鹿な大衆が主権を持っているせいで、国政も愚策ばかりを打ち、結局、国そのものが傾いてしまう」という残念な状態を指している。

つまり、なんにも考えがなく集まっている群衆には、懸命な決定を下すことができないということである。古代ギリシャのプラトンも「哲人政治」を推め、愚かな大衆に支配されることをよしとはしなかったと言われている。

では、どんな時が、多数決を必要とするのだろうか?

それは、十分に論議がなされた時である。反対、賛成のそれぞれの立場から、いろいろな意見が出て、議論がなされていったとき、最終的に、多数決が必要になる時がある。それで、意見が多い方の考えを取り入れて進めていくことができる。

しかし、そうした時に、気をつけなければならないことがある。それは、「全員一致」という状況になったときは、もう一度、話し合いを元に戻して、議論するようにしなければならない。ドラッカーのマネジメントの中で、こうしたことが書かれており、私は最初、このことを知ったときはびっくりした。「全員一致」のどこがいけないのだろう?と、思ったのである。

ドラッカーの本を更に読んでいくと、その理由がわかってきた。感情に流されて、「全員一致」になったとして、それを行政や民間の会社などが推し進めた場合、何らかの理由で不具合が生じた時に、どうしようもなくなるのである。しかし、少数の反対意見が出ていたのであれば、その対案に従って、別のやり方で物事を進めることができるのである。だから、全員一致の時は、もう一度、「論議のやり直し」というのは、考えさせられるものである。それでも、物事は進めていかなければならないので、少数の反対がありながらも、多数決で決まったことを進めていくというやり方が、懸命なやり方であるということを、覚えておきたいものである。そして、そのときこそ、十分に、議論が尽くされた後のことであることも付け加えておこう。

これが、本当の多数決のやり方である。

2018年2月17日