はじめに
鏝絵(こて え)は、土蔵や家の戸袋、壁などに描かれます。平らに塗られた漆喰の壁面に、鏝を使って薄肉上に盛り上げた浮き彫りを施し、彩色したものです。乾燥しきった壁では付きが悪く、壁が生乾きの間に一気に仕上げなければならないため、左官の巧みな技術が要求されます。
鏝絵は後に、紙に描いたものを壁に貼り付ける方法が普及しましたが、江戸時代に生まれた長八という左官の職人によって鏝絵は大きく復興し、新たな絵画作品として価値が生まれました。長八の技巧は素晴らしく、「長八の鏝絵は空前絶後、つまり長八の前に長八のような作品はなく、長八以後も長八と並ぶ作品を残した鏝絵師はいない」と評す人もいます。
伊豆の長八・駿府の鶴堂 P14
長八が左官として腕を奮った建物は、ことごとく関東大震災で失われてしまいました。現代に残されて、私たちが見ることができる長八の作品は、ほんの一部に過ぎないのです。
土の絵師伊豆長八の世界 P68
伊豆に左官業が栄えた理由は、まず気候に関係があります。伊豆は、冬になると強烈な西風が吹きます。冬の空気は乾燥しているので、強風が吹くと大火事が発生する原因になってしまいます。(江戸時代の人々にとって火事は大変な災害でした。)
また、風が強いので半端な屋根では飛ばされてしまいます。そこで、漆喰で固めた頑丈な土蔵造りにせざるを得なかったのです。更に、酒造りや倉庫業には、なまこ壁の蔵がまことに好都合というわけで、伊豆では蔵座敷を含めて多数の蔵が立ちました。なまこ壁の蔵を建てるためには左官技術が必要だったので、左官業が繁栄し、名高い鏝職人も誕生したのです。
土の絵師伊豆長八の世界 P30
長八の作品やそれを生み出した多様な鏝は、長八のゆかりのある松崎町に展示されています(当ページ下部参照)。ですが、それらを操る技術自体は弟子たちに伝えられませんでした。たとえば現代でも鮮やかに残る色彩――つまり、漆喰に混ぜあわせた顔料の秘密。また懸軸にして巻いてもけっして崩れないという鏝の技術と「成分」の秘密。長八の作品には、長八だけが知っている秘密が詰まっています。
土の絵師伊豆長八の世界 P56
長八は仏門へ入信し、とても信心深い人物でした。要因として考えられるのは、長八は家庭的に苦労したことです。
長八の年譜を見ていていると、身内の人の死が目立ちます。また、養子に入ったり、養子を取ったり、それらの人の出入りも激しかったようです。更には養子が殺傷事件を起こしたりもしています。
伊豆の長八・駿府の鶴堂 P30
鏝絵にこだわる長八
「擬」…漆喰で他の材質もホンモノそっくりに表現すること。
長八の作品で最も技術が光る点の1つは、「擬」の技術です。長八は、狩野派の絵を学んでいた時期があったので鏝絵でも日本画と同様の表現ができました。さらに額として似せて実物と見間違うほどの竹を描く技術がありました。立体表現が可能な日本画ではできない鏝絵という技法によってより表現しやすくなったのです。
伊豆の長八・駿府の鶴堂 P70
鏝絵は平面の絵とは違って、漆喰を塗りあげた立体物です。光の反射によってさまざまな表情を生みだします。その変化を楽しめるところに「絵画的彫刻」としての鏝絵の魅力があるのです。昼間と夕方では、印象がまるで違います。長八は、日本画にはない鏝絵の魅力を見出しました。
彼が立体物としての鏝絵に光と影を重視した事実をものがたるエピソードがあります。芧場町の不動堂修繕のときに、彼は鏝絵の意匠を示すために、竜と花のスケッチを描いたそうです。それも、竜は細い線で、花は太い線で描き切りました。しかしそれを見た親方は、勢いのない弱々しい竜と、不粋な太い線で輪郭をとった花として、両方とも「失格品」と判定しました。
しかし長八はのちに、自分の下絵の意図をこう説明したそうです。竜は浮彫りにする予定だから、これを太い線で描くと印象が強調されすぎる。また花のほうは沈彫りだから、太い線で描かないと実物が翳をもつ感じを示し得ない。できるだけ実物の感じが出るようにと、わざわざ線の太さ細さを選択したのである、と。
この話は、長八が鏝絵という表現法の効力を正確に理解していた証拠であると言えるでしょう。
土の絵師伊豆長八の世界 P34
長八は、蔵の外囲りには、意外にも派手な装飾をせずに、むしろ室内を飾ることに注力しました。長八の作品の1つである寒牡丹の額絵も、蓬萊亀の置きものも、その一例です。長八はこのほかに、シャンデリアを吊るす天井飾り、杉戸の表面の絵付け、欄間といった「内装」に鏝絵を活用しているのです。おそらく室内では、立体の鏝絵が光に応じて変化をみせやすいためではと考えられています。
その証拠に、長八の菩提寺である浄感寺にある天女の鏝絵は、寺の正面からはいった光に照らされることで、はじめてその美しい彩色を発揮し、天女の顔にえもいわれぬ表情が浮かぶよう、計算されています。天井にある八方にらみの竜が金色に塗られているのも、やはり朝日が射し入ったとき光り輝かせる仕掛けでした。
長八の鏝絵が、蔵や寺や豪邸の大広間のような、光をコントロールできる場所で最も異彩を放つのは、おそらくそういう理由に依るのでしょう。
土の絵師伊豆長八の世界 P36
長八伝説
鯛や海老など魚尽しの絵は長八の十八番でした。結城素明の「伊豆長八」は、「魚盡しの塗額」と題して、魚にまつわるさまざまな逸話を紹介しています。要約すると、長八が鯛の絵をつくっていると、出入りの魚屋の小僧から、本物の江戸前の鯛はそんなものじゃないと笑われました。いったんは腹を立てたものの、江戸前の鯛、活鯛(生簀で飼われたもの)を伊豆の鯛を取り寄せ、その違いを見比べると小僧のいうとおりで、今度は実物そっくりの魚尽しを仕上げたそうです。
この逸話は教科書にまで取り上げられました。一種の名人伝説であり、同時に、絵馬から馬が逃げ出す、生人形が夜になると啜り泣くといった類いのリアリズム伝説でもあります。
百工競精場の魚尽しの衝立もまた、実物そっくりであることへの驚きとともに、観客から眺められたのでしょう。
土の絵師伊豆長八の世界 P64
長八は成田不動尊の不動像を修繕したとき、夢枕にその不動尊が立つ夢を見そうです。損傷した不動の手を長八は修繕できぬ、修繕すれば悪いことが起こる、というのです。しかし長八は潔斎し、行を修したのち、身を清めてみごとに不動尊を修繕しました。
土の絵師伊豆長八の世界 P37
長八は美男子で、若いころから女性にもてたそうです。器用であったことから娘たちに髪結いまでせがまれたとか。長八の酒脱さも、そうした男女関係の体験から出てきた、と考えられています。
土の絵師伊豆長八の世界 P37
長八の忠実な描写が、作り話のような逸話を生みました。
竹製の額縁を漆喰で再現した際に、それはどう見ても竹としか思えない出来ばえであったため、のちに、防腐用のペンキを塗られてしまったそうです。
土の絵師伊豆長八の世界 P57
我秋月一と夜も見のこさず
土の絵師伊豆長八の世界 P54
参考文献・取材協力場所紹介
村山 道宣(2002)『土の絵師 伊豆長八の世界』木蓮社
財団法人 静岡県文化財団(2012)『しずおかの文化新書11 伊豆の長八・駿府の鶴堂~漆喰鏝絵 天下の名工~』
伊豆の長八美術館
http://www.izu-matsuzaki.com/publics/index/69/
〒410-3611
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TEL 0558-42-2540 FAX0558-42-2573
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長八記念館(華水山 浄感寺)
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