強い組織を作るために・・・

強い組織を作るために何が出来るか?と言うと、「多能工」の仕組みを考案したトヨタ自動車の大野耐一元副社長のことを考える。

大野氏は、紡織工場では女子工員が1人で数十台の織機を操作していたのに対して、当時の自動車生産の現場では工員1人が1台の工作機械しか扱っていないことを課題と考え、工作機械の“多台持ち”を発案、さらに1人が複数の異なる工程を受け持つ“多工持ち”化を進め、ここから多能工の概念が生まれたといわれている。

このやり方を他の会社でも当てはめることが出来るのか?例えば、事務職で会社の社長が求人をしたとする。面接に来た人が、①、一般事務しかできない人と、②、一般事務のほかにもパソコンで経理が出来るとなると、当然、②、の人を採用するだろう。私なら、絶対そうする。

実際、弊社の事務員の一人は、一般事務だけでなく、テレアポを取れたり、ホームページの内容を更新したり、新たに作ったり、イラストを作成したりできる。別の社員は、一般事務だけでなく、テレアポを取れたり、経理も勉強しながら出来るようになっている。

要は、一つしか出来ない人は、今の時代、会社として必要とされていないということである。特に中小企業の場合、基本となる仕事をしながら、他にもいろいろなことが出来る必要がある。

そのように自分に出来ることの枠を広げることによって、人は自尊心を高めることが出来る。そう、仕事にプライドを持って取り組むことが出来るのだ。そうすることによって、社内の各人が生き生きとして強い組織を構築していくことになる。仕事に関して、社内でいろいろな資格を取らせることも助けになるだろう。

単能工から多能工、そして、さらに一人屋台と言う考えもある。一人屋台と言うのは、一人で、すべての工程が出来るようになるということである。

こうした過程を踏んで構築すれば、強い組織を作っていくことになる。

2018年2月21日

モンスタークレーマー!

会議を開いていて、一番困るのは、モンスタークレーマーが存在することだ。これまでに私が経験したことで、マンションの管理組合が住民のために開く会議に参加したときに、あるクレーマーに対して、ただただ頭を下げるだけで、何も言えなくなる状況を見てきた。では、今までに存在したクレーマーの中で、最もたちの悪い存在とは何だろうか?実は、ユダヤ教、キリスト教の聖典と言われる「聖書」の中のヨブ記に記されている。

ヨブ記の一章には、天での会議が開かれた際、全能者なる神と天使たちが集まっているその中に、サタン悪魔と呼ばれる者が突然現れたことが記されている。神々の会合の場に、突然、モンスタークレーマーが出現したのである。サタンと言うのは、反抗するもの、反逆者を意味している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨブ記1章6節~・・・・・・・・・・・・・・・1
1:6ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。
1:7主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」
1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
1:9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。1:10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
1:12 主はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。
1:13 ある日、彼の息子、娘たちが、一番上の兄の家で食事をしたり、ぶどう酒を飲んだりしていたとき、1:14 使いがヨブのところに来て言った。「牛が耕し、そのそばで、ろばが草を食べていましたが、1:15 シェバ人が襲いかかり、これを奪い、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」1:16 この者がまだ話している間に、他のひとりが来て言った。「神の火が天から下り、羊と若い者たちを焼き尽くしました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」1:17 この者がまだ話している間に、また他のひとりが来て言った。「カルデヤ人が三組になって、らくだを襲い、これを奪い、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」1:18 この者がまだ話している間に、また他のひとりが来て言った。「あなたのご子息や娘さんたちは一番上のお兄さんの家で、食事をしたりぶどう酒を飲んだりしておられました。1:19 そこへ荒野のほうから大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、それがお若い方々の上に倒れたので、みなさまは死なれました。私ひとりだけがのがれて、あなたにお知らせするのです。」1:20a このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、1:20b 「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」1:22 ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨブ記1章22節・・・・・・・・・・・・・・・・1

天の集会の際に、他の者を差し置いて、神に対してモンスタークレーマーとなったサタンは、ヨブが祝福を受けているのは、あなた(神)が、祝福をしているからだ!と、主張します。
それに対して、神はヨブに対して災難をもたらすことを許されます。その後、どうなるでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨブ記2章1節~・・・・・・・・・・・・・・・2
2:1 ある日のこと、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンもいっしょに来て、主の前に立った。2:2 主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」2:3 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。」2:4 サタンは主に答えて言った。「皮の代わりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。2:5 しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」2:6 主はサタンに仰せられた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」2:7 サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。2:8 ヨブは土器のかけらを取って自分の身をかき、また灰の中にすわった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨブ記2章8節・・・・・・・・・・・・・・・・2

このように物語は、進んでいきます。多くの批評家たちは、ヨブ記が難解な書物であると言います。「人が神に仕えるのは、神から祝福があるからだ!」と、サタンは主張します。まぁ、言ってみれば、あの人たちは、優遇されているから一生懸命仕事するんだよなぁ・・・と、言ってる感じです。その後どうなったかについては、ヨブ記を読めばわかるはずです。

いずれにしても、モンスタークレーマーは、急きょ、会議に出席し、その場を独占してしまい、自分の我を通そうとする・・・と言う特徴がつかめます。そんな人が、会議に参加した場合は、「くわばら、くわばら・・・」と、言って逃げることですな・・・

2018年2月20日

日本の神話に出てくる会議!

神々が会議を開いている!と言うことを想像したことがあるでしょうか?実は、「古事記」と言う古い書物によると、神代の時代に、神々が会議を開いたことが記されています。どんな会議だろうと、思いますか?次のような会議でした。

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高天原にある天の岩戸に天照大御神がお隠れになってしまわれたために、高天原と中津国から太陽の輝きが消え失せ、すっかり暗闇に覆われてしまいました。そのために神々の不満や怨差の声が聞こえ初め、たくさんのわざわいが起り出しました。

「どうすれば天照大御神を岩戸から連れ出すことができるだろうか」

非常召集令によって天の安の河原に八百万の神々が集まり、 解決策を練るために、高天原会議を開くことになったのでございます。

その席で『造化三神』の一人『たかみむすひ』の神の子で、高天原一の知恵者、思金(おもひかね)の神が名案を出しました。八百万の神々も満場一致でその意見に賛成し、さっそく準備が始まりました。・・・

===============◇◇◇===============1

なーんだ、天岩戸開きの話か・・・と、思われるでしょうか?しかし、これもまた立派な会議のスタイルになっているのです。

問題が発生し、非常招集令によって会議が始まり、解決策を出すために、いろいろな意見を出してもらい、ある知恵者の意見が注目され、それによって解決策の方向性が出ます。その結果、会議の大多数で決定され、実行されていくのです。

我々人間が、普通に行っている会議とそれほど変わりはないでしょう。逆に、神々が人間臭く思えます。

続きの話は、次のようなものです。

===============◇◇◇===============2

天照大御神を誘い出す大宴会の準備は大わらわです。こうして、岩戸の前には八百万の神々が、わいわいがやがやと勢ぞろい されました。

そこへ登場してきたのが神々の人気者、あめのうずめ(天宇受 売)でございました。天の香久山のひかげのかずらをたすきにかけ、正木のかずらを髪飾りにし、魔よけの笹の葉を手に持っています。

そして、ステージがわりの大きな桶を伏せてその上に乗り、とんとんリズムをとりながら面白おかしく踊り始めました。

桶は打楽器のように大きな音を鳴り響かせています。調子に乗ったあめのうずめは、次第、次第に神がかり状態になり、踊り狂い出したのでございます。・・・

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「あめのうずめ」と言う神様が、宴会の途中で踊り始めます。我々人間も、様々な機会に会議が開かれ、そのあと、懇親会と言う名目で宴会が開かれます。それと似ていますね。なお、神様事が終わった後の宴会のことを、「直会」(なおらい)と言うそうです。さて、その宴会の後に、何が起きたのでしょうか?

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外にもう一人のたいそうりっぱな神様がいることを不思議に思われた天照大御神は、岩戸からほんの少し体を乗り出しました。その瞬間、隠れていた手力男(たじからお)が天照大御神の手をつかみ、怪力でぐいと外に引っぱり出したのです。そして、すぐにふとだまが岩戸に『しめ繩』を張り、

「これで二度とお隠れになることはできません」

と岩戸の前に立ちふさがりました。

このとき、怪力の手力男が力まかせに岩戸を開けたので、その勢いで戸がはずれて下界に落ちてしまいました。はずれた戸の落ちたところが信州の戸隠山だといわれております。

高天原一の知恵者、思金(おもひかね)の神のはかりごとは、こんな風につつがなくとてもうまく運びました。このようなわけで高天原と中津国に光がふりそそぎ、ふたたび明るくなったのでございます。神々は、太陽の神、天照大御神のすばらしさを前にも増してほめたたえました。

昔から、暗いときには楽しく笑い遊ぶことが最良の方法(笑う門には福きたる)だったのでございます。

お手柄のあめのうずめは、このとき以来、芸能の神、お神楽の元祖となりました。

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いかがでしょうか?その宴会の後に、問題が解決されている事を知ることが出来るでしょう。これらの話の一連の流れは、会議を始め、懇親会を進めて、問題が解決されることになるということを示しているのかもしれません。

今度、同じような会議に出席する機会がある方は、神代の時代に、神々が会議を開いたことを思い出してくださいませ。・・・

2018年2月19日

多数決が本当に必要なとき・・・

会議が始まって、驚くべき光景を目にすることがある。それは、議事が載せられれいるシートを配られ、いきなり、反対か賛成か挙手するように求められるときである。あるいはまた、話し合いがぜんぜん出来ていない時に、投票などを求められるときがある。それは、古代ギリシャにおける衆愚政治を思い出す。

衆愚政治というのは、簡単に言えば「馬鹿な大衆が主権を持っているせいで、国政も愚策ばかりを打ち、結局、国そのものが傾いてしまう」という残念な状態を指している。

つまり、なんにも考えがなく集まっている群衆には、懸命な決定を下すことができないということである。古代ギリシャのプラトンも「哲人政治」を推め、愚かな大衆に支配されることをよしとはしなかったと言われている。

では、どんな時が、多数決を必要とするのだろうか?

それは、十分に論議がなされた時である。反対、賛成のそれぞれの立場から、いろいろな意見が出て、議論がなされていったとき、最終的に、多数決が必要になる時がある。それで、意見が多い方の考えを取り入れて進めていくことができる。

しかし、そうした時に、気をつけなければならないことがある。それは、「全員一致」という状況になったときは、もう一度、話し合いを元に戻して、議論するようにしなければならない。ドラッカーのマネジメントの中で、こうしたことが書かれており、私は最初、このことを知ったときはびっくりした。「全員一致」のどこがいけないのだろう?と、思ったのである。

ドラッカーの本を更に読んでいくと、その理由がわかってきた。感情に流されて、「全員一致」になったとして、それを行政や民間の会社などが推し進めた場合、何らかの理由で不具合が生じた時に、どうしようもなくなるのである。しかし、少数の反対意見が出ていたのであれば、その対案に従って、別のやり方で物事を進めることができるのである。だから、全員一致の時は、もう一度、「論議のやり直し」というのは、考えさせられるものである。それでも、物事は進めていかなければならないので、少数の反対がありながらも、多数決で決まったことを進めていくというやり方が、懸命なやり方であるということを、覚えておきたいものである。そして、そのときこそ、十分に、議論が尽くされた後のことであることも付け加えておこう。

これが、本当の多数決のやり方である。

2018年2月17日

目で聞いて、耳で見る!

以前聞いた話だが、人の話は「目で聞いて、耳で見る」ように、勧められていることがあった。これは、どのような意味があるのだろうか?と、考えてみた。「目で聞く」とは、相手が話をするときに、注目して、一生懸命に聞くことを意味している。そして、「耳で見る」とは、耳で聞きながら、情景を思い浮かべるようにすることを意味するらしい。

いみじくも聖書の中で、イエスキリストが、「どのように聴くかに注意を払いなさい」と、教えられていたことを思い出す。人は、「聞き方」によって、気づきを得ることがあるし、「見方」によって、物事がわかってくることがある。

通り一遍の話の聞き方、物の見方では、決してわからないことも、真剣に物事を見たり、聴いたりすることによって、真実な姿がわかってくる。物事の本質、人の本質を知るということを目指して、「目で聞いて、耳で見る」ということを、心がけるとよいと思う。

人は、上辺だけの人間関係を築こうとするのであれば、そうした人生を送ることはできる。しかしながら、真実を求めて生きていくのであれば、「目で聞いて、耳で見る」ということを心がけるべきだろう。ただ、この場合、リスクがある。真実を求めれば求めるほど、苦難な道を歩む人が多い、ということだ。昔で言うならば、修験者が、山にこもって修行をしたりして、宗教的なことに関わる場合もあるだろう。現代においても、真実を知ろうとすれば、人の痛みや悲しみが余計に分かってきて、ストレスを溜め込むことになるかも知れない。

ただ、人は、それぞれ自分の荷を負って、生活していかなければならない。自分が果たすべき責任はあるのだ。あまりにも他の人のことに気遣って、なんでもしてあげることは、本人のためにならない。きついようだが、ある場合、突き放すようなこともしないと、甘えてしまって、その人の成長がない場合がある。そのあたりの程度を見極めるのは難しいが・・・

いずれにしても、適度なところで、人の話は「目で聞いて、耳で見る」ようにしたいものだ。

こうしたことは、会議の場においても、相手の意見をしっかりと捉える助けになるだろう。

2018年2月17日

反対意見には対案を示す!

昔、「なんでも反対、社会党」と言う、皮肉めいた言葉があった。当時、自由民主党に対して、野党の筆頭にいたのが、社会党と言う党であった。(今は、もうこの党はない)この社会党は、なんでも反対する党であった。

会議が始まると、いつも反対する人がいるだろうか?では、その人は、反対すると同時に、「対案」を持っていなければならない。これは、政治の世界では当然のことであり、この「対案」を持っていないで、反対ばかりしていると、それを見ている人たちから総スカンを食らうのである。

現在、日本国において、自由民主党ばかり巨大になって、野党の勢力が小さくなってしまっている。これは、なぜだろうか?それは、反対をするばかりで、対案を持っていないで議論を続けた結果である・・・と言う見方もできるのではないだろうか?

どうせ、野党が政権を取ったところで、自民党以下の決定や行動しかできない。と、多くの国民は思ってしまっている。実際、村山政権の時の社会党、鳩山、菅内閣の時の民主党などの政策決定、国家的災難と言う緊急事態に対する対応などを見ていると、やはり、自民党しかないのかな?と思ってしまうのは、議会制民主主義の国家として、レベルが低いような気がする。

では、会社の中や、様々な機会に会議を行う場合、こうした教訓は、どのように生かすことができるのだろうか?

やはり、「反対の意見を持つ場合、「対案」をしっかり持った上で、議論に加わらなければならない。」ということである。様々な見地から物事を考え、一つのことを検討する必要がある。

そして、議論が十分に検討されたなら、最終的に決定したことについて、反対した側も協力する立場をとっていかなければならない。もしその最終的な決定が間違っていることに気づいたなら、「対案」として出していたことを見直し調整して、そちらの案で物事を進めていくことも良いだろう。

このようにして、会社や様々な機会に、会議を生きたものにしていくことができるのだ。

2018年2月17日

雑談とムダ話の違い!

よく、雑談とムダ話を一緒にする人がいる。雑談が必要ないと思っているのだろう。しかしながら、雑談から思わぬ大きな商談につながったり、びっくりするような人とのつながりに結びついたりすることがある。これは、事業を経営している人ならわかることだろうが、まじめまじめに物事を考えていては、決して理解できないことである。

ある人が次のように語っていた。
三流は、出会った瞬間に悪印象を与える。
二流は、記憶や印象に残らない。
一流は、最初の一分間で、「忘れられない人」になる。

なるほど、なるほど・・・

まじめそうに見える人が、実は、軽い人であったり、軽そうに見える人が、実はまじめであったりする。悪いギャップ、良いギャップ、それぞれあるものだが、最初よりも後からの評価が上がるほうが絶対いい!

人を引き寄せる話が出来るかどうかが、雑談の時に大切なことだ。ムダ話は、決して人を引き寄せるものではない。しかし、人を引き寄せて、その人が魅力ある人に映るなら、雑談は成功しているといえる。

「オノマトペ」と言う言葉は、聞きなれない言葉である。この言葉は、フランス語で、音や感情の様子を表す擬声語のことだそうだ。「ギャー」とか「わー」とか、「ザー」とか、その時の様子を伝える言葉だ。こうした擬声語を使うことも人を引き付ける話をする技術だと言われている。よく、芸能人が行っている話し方だ。

また、言葉を長文にするのではなく、短文に区切って話をした方が、相手に伝わることも覚えておきたいことだ。難しいことを長々と話されては、たまったものではない。しかし、難しいことも、短文に区切って話されると、受け入れやすいものになるのだ。

こうしたことを心がけながら、雑談をすると、とても楽しい雰囲気になり、あなたの魅力が引き立ってくるのである。

会議の最初の部分とか、司会者は、上手に雑談を取り入れることによって、会議が堅苦しくない、リラックスした雰囲気で始められることだろう。また、会議の休憩時間などに、リラックスして雑談することによって、参加者が居眠りなどをしないで済むだろう・・・

2018年2月16日

積極的傾聴法と司会の役割

会議を進行しているときに、時々出くわすことがある。それは、モンスターの出現である。このモンスターは、PTAの会議のときや、マンションの住民と管理組合との会合の際などに出現する。何のことですか?と言われる人のために、説明しておこう。モンスターとは、強力なクレーマーである。昔は、そんなにはいなかったが、近年、あちこちで出現する。自分の子どもがいじめなどを経験すると、学校が悪いとして、大きな問題にして裁判沙汰にもなるようなケースがある。先生の対応が悪いと、徹底的に主張するのだ。また、マンションと住民の会合の際も、マンションの管理組合の対応が悪いとして、徹底的に追求するような人がいる。そんな時、マンションの管理組合は、反省ザルのように、ただただ頭を下げているようなケースを目にしたことがある。気の毒な話だ。

このようなケースに出くわしたとき、会議の司会者はどのように対処すべきなのだろうか?そのようなモンスターをその場から退場させても、根本的な解決策にはなっていない。むしろ、司会者としてしなければならない対応の仕方がある。それは、積極的傾聴である。

積極的傾聴法(Active Listening)は、次のように説明されている。
相手の気持ちや考えを、相手の立場に立って理解する態度、あり方のこと。聴き手は自分の感情を誠実に包み隠さずに表現できることが求められる。また、相手の発言をすぐ否認や是認することは避けねばならない。このことで、相手とともに考え、感じるプロセスを共有し、やがて相手自身が問題解決できるように促すことをねらいとしている。

 積極的傾聴法とは、簡単に言えば、「相手の話をよく聴く」ということが基本となっています。相手の話をよく聴き、共感的な態度で相手のことを理解するようにつとめ、それによって良好な人間関係や信頼関係を作っていくことを意味しています。

 そして、“寛容的態度”とは、文字通り態度のことを指していて、普段の接触において相手の気持ちを尊重し受け入れること。批判的、評価的な態度を取らず、その人の個性までも認める態度を指しています。これは、相手の全人格を受け入れる度量が求められることになり、自分自身の器を大きく構える必要が出てきます。

 ロジャースの理論技法 積極的傾聴法(active listening)について、もう少し専門的に説明をします。ロジャースの理論技法(アクティブリスニング=積極的傾聴法)は来談者中心療法のおける主な技法とされています。

(1)単純な受容 simple acceptance
 相手の話を「あいづち」と「うなずき」しながら聴くことです。ひたすらクライエントの気持ち・感情をそのまま受け止め、受け入れる態度が傾聴の基本です。

(2)繰り返し restatement
 会話の中での発せられた言葉を「おうむ返し」することです。この時のポイントは相手の使った言葉をそのまま繰り返します。そのことで共感を強めていきます。

(3)反射 reflex
 文字通り「鏡」reflexになったつもりで、相手の言葉や非言語的表現に込められている「感情」「気持ち」に応じた繰り返しを行います。

(4)明確化 clarification
 クライエントの「感情」または「考え方」についての「不明確な表現」をより適切と思われる表現に直して言い換えます。相手が薄々気づいてはいるけれど、まだはっきりと意識していないところを先取りして、これを言語化(意識化)することを明確化といいます。

(5)質問 question
 判らないことは尋ねてよいが、できるだけオープンクエスチョン(開かれた質問Open question)を使って、クライエントに多くのことを話させるように努めます。イエス、ノーで答えられないような質問(何故・・・どうして・・・)。自分で言って自分で答えを出して行く方法をとります。

(6)場面構成 structuring
 主にコミュニケーションをスタートさせたり、気持ちの転換を促したり、話のこう着状態から離れる試みとして、場面の特性を説明したり、沈黙を脱するために言葉をかけることです。 

(Counselingroom nagimiより)

 ここに示しました6つの行為は特別カウンセリングの資格などを取らなくても誰でも練習によってできるようになります。カウンセリング・マインドをもって普段の接触に努めさえすればできることでしょう。その結果、自分の感じ方を高めることにつながり、そのことで豊かな人間性を形成していけると思っています。

「愛と癒しのコミュニオン」という本には、わかり易くアクティブリスニングの行為においての禁止事項を5つほど上げています。

 1、批判するな! 
 2、同情するな! 
 3、教えようとするな! 
 4、評価するな! 
 5、ほめようとするな!

 まさに、“積極的傾聴”と“寛容的態度”を貫くためにやってはいけない行為ということができるかもしれませんね。特に、上記の中にある同情(慰め)について、

『自分が死んでいると感じずに済んだのは、慰めてくれる人がいたからだ。だから、勘違いし続けることができたよ。しかし、慰めは必ずしも受容とならず違和感を覚えることがある。「大丈夫だよ、心配ないよ!」と言われると、私の感情がかき消されてしまうからだ。「しんどかったね」と私の感情を代弁してくれれば「そうか、私はしんどかったのか」と分かるようになるんだよね・・・・』と。・・・

積極的傾聴法は、その人が自ら質問して、自ら解決策を見出すように助けることです。ですから、変に同情していては、問題の解決策にはならないと言うことです。

ようするに、上記に書かれているようなことを参考にして、モンスター的な発言が会議の場で出てきたときは、ひたすら積極的傾聴法に徹し、司会者はその場を進めていかなければならない。と言うことです。

会議の場で、中には、クレーマー的な発言もする人がいますので、その辺り、特に司会者は工夫をしていきましょう。

2018年2月15日

時系列と優先順位の必要性!

会議において、時系列による司会進行と、優先順位による必要性をどのように受け止めることが出来るのだろうか?

最近、同業他社と今年、取り上げる会議の議題について話し合った。私が、司会進行を行ったわけだが、話がややこしくならないようにするために、時系列による会議の進行を行い、優先順位を決定していった。具体的には、次のようなものである。

1、       昨年1年間に議題として話し合ったことを、振り返る。
2、       今年1年間に話し合いたい議題について、各人意見を出してもらう。
3、       各人の意見をまとめて、優先順位を付け、年間のスケジュールに落とし込む。

こうした手順で、会議を進めた。そうすると、見えてきたことがいくつかある。一つは、昨年1年間で、結構、まじめな議題で会議が進んでいたことを確認することが出来た。次に、わかったことは、今年、取り上げる会議の議題について話し合った結果、同業他社が、何に関心があるかについて、明らかになってきた。あとは、行政が行うことやスケジュールを参考にしたうえで、年間のスケジュールに落とし込む作業がわかった。やはり、一人では、不十分なことでも、会議によって、様々な見方が出来ることを知ることが出来る。

話し合いは、録音されているので、事務方によって、議事録を作成する。弊社が、必ず行っていることは、会議の議事録を取っていること、そして、その議事録を関係する人に情報を共有出来るようにすることである。いわゆる、ガラス張りの経営を心がけている。当然、関係する人には、情報を共有する必要があるからだ。また、会議の欠席者にも、議事録をファックスすることによって、会についての認識を保っていただくようにしている。

以前、ある方から聞いた話がある。「難しいことは、簡単にまとめて話し、簡単なことほど、いろんな観点から難しくすることが必要だ。」何のことだろう?と、その当時、思っていたのだが、よくよく考えてみると、そうかもしれないな!と、思えることがある。

話がややこしくならないようにするために、時系列による会議の進行を行い、優先順位を決定していったことは、一つの会議の進め方として、有効であるように思える。また、人とのコミュニケーションの取り方としても、参考になるのではないだろうか?

2018年2月14日

「例え」を使って一発逆転をする!

「パラダイムシフト」と言う言葉を聞いたことがあるだろうか?デジタル大辞泉の解説によると、ある時代・集団を支配する考え方が、非連続的・劇的に変化すること。社会の規範や価値観が変わること。例えば、経済成長の継続を前提とする経営政策を、不景気を考慮したものに変えるなど。と、定義されている。ちょっと、硬いかな・・・

もっとわかりやすく言うと、サッカーの試合や、野球の試合で、あのプレーで試合の流れが変わった!と言うことを見たことがあるだろうか?一つのプレーで、それまで劣勢だった試合の流れが大きく変わり、勝利へと導くことがあるのだ。

そうしたことを「パラダイムシフト」に結びつけて考えるとわかりやすい。

では、営業の人間にとって、顧客との話が停滞気味であったり、マイナスの雰囲気が流れたりする中で、流れを変えようとして、まじめに話せば話すほど、ドツボに入ってしまうことがよくある。会社のこと、商品のことを一生懸命話せば話すほど、ダメなのである。

たとえ話は、話の内容を聞き手により具体的に分かりやすくイメージさせる、とても便利な話術だ。「パラダイムシフト」につながりやすい。分かりやすい授業をする先生や成績のいい営業マンはたいてい、このたとえ話が得意である。相手を深く納得させることで心をつかむのだ。

ただ注意が必要。たとえ話をうまく使うには、聞き手に合わせて内容を変えていく必要がある。どんなにうまいたとえ話でも、例えば、海に行ったことのない人に「海で波に乗るような感覚」と説明してもピンとこない。たとえ話をするときは、できるだけ、聞き手の年齢や性格などを考慮するようにしたいものである。

よく、あの人は、「引き出しが多い」と言われる場合がある。いろんな話題を持っているのである。雑学と言うか、いつも、アンテナを立てていて、情報を自分の引き出しに増やしていく感性を持っていることが必要である。マンガ本でもいい。最近の出来事でもいい。自分の周りの人のことでもいい。なんでも、「あれっ?」と、思うことがあれば、自分の引き出しの中に使えるようにしまっておくことだ。

それでも、「私は、たとえや経験などから話するのが難しい」と言う方は、どうすればよいのだろうか?究極のたとえについて、お話しようと思う。

それは、「自分を笑えること!」・・・である。

自分の失敗の話をすれば、相手の心を和ませることが出来るのだ。「あっ、この人も普通の人だ」と思えるほうが、顧客との話が停滞気味であったり、マイナスの雰囲気が流れたりする中で、突破口を見出すことが出来るのだ。自分のことを笑っているので、誰にも迷惑をかけるものではない。他人の悪口を言ったり、他社の商品をけなしていては、その営業の人間の評価が落ちるだけであることは、覚えていてほしい。これもまた、「例え」の一種である。

さてさて、本題に戻ろう。会議で、話し合いが停滞気味であったり、マイナスの雰囲気が流れたりするとき、一つの「例え」から、流れを変えることが出来るということである。

起死回生の技、「例え」を使って、会議を有意義な方向へと進めよう。

それは、ちょうど、戦場において兵士が、「バズーガ砲」を使うようなものかもしれない。

2018年2月12日