熊本城(ミニチュア)について

熊本城ミニチュア1

このミニチュアによる熊本城は、平成5年の天守閣改修工事の屋根漆喰工事を施工した㈱オオタ代表取締役会長(当時)によって、製作されました。
平成10年11月から平成11年6月までの8ヶ月間を掛けて作られています。
平成25年から、熊本県の要請を受けて、株式会社オオタが寄贈したものです。
寄贈式の際の樺島知事と当社の会長の写真を載せておきます。

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熊本県庁へ寄贈した際の写真

 

熊本城について

熊本城は、名将「加藤清正」が幾多の実践の経験に基づき、慶長6年(1601年)から7年の年月を費やして築いた名城です。

その構造は、周囲5.3キロに及ぶ広大な城域内に、一の天守、二の天守、を中心に、櫓(やぐら)46、櫓門18、城門29を数える雄大豪放なお城であります。

一の天守、二の天守は、明治10年(1877年)の西南の役の際に、不明の失火で焼失したものの、現在の熊本城は昭和35年に再建されたものです。幸い、明治10年の失火による焼失を免れた宇土櫓他12の建造物は、今もなお昔のままで、国の重要文化財に指定されています。

明治10年の西南の役に際しては、薩摩の大軍を迎えて、50余日の籠城(ろうじょう)に耐え、不落の城として真価を発揮しましたが、惜しいことに、薩摩の大攻撃の前日、原因不明の出火によって宇土櫓他12棟を残して焼失しました。

築城主、清正の雄姿の如く、城内の中央部にそびえ立つのは、一の天守と二の天守で、城の心臓部とでも言うべきところです。城が攻め立てられたときの最後の砦となるところでした。明治10年の西南の役の時に焼失し、昭和35年の国体の時に再建されました。

城下町として栄えた熊本市には、多くの歴史遺産、伝統文化遺産等が継承されてきましたが、その中核となる熊本城は、貴重な歴史文化遺産としてはもとより、同士の最大の観光資源として、さらには、「森の都」を印象付ける緑の拠点として、今日に至るまで、市民や訪れる方々に愛されてきました。

熊本城天守閣・ミニチュア版 製作手順

熊本城ミニチュア2熊本城ミニチュア3

1、設計図の製作

基本的に正式な設計図はないので、熊本城の天守閣を様々な角度からデジタルカメラで捕えて、それを基に設計図を作る。

2、道具・材料の調達

道具は、左官道具などをもちいています。材料は、べニア板に、細木、発泡スチロールなどで骨組みを作成し、左官の鏝を使い、プラスターやセメント材料をもちいながら、仕上げていった。鯱鉾や窓の部分など細工が必要なところは、発泡スチロールで形を作り、仕上げに着色しました。着色も左官で用いる材料を使用しています。

 

3、施工の注意点

熊本城は、武者返しと呼ばれる独特なカーブを描いた石垣が有名です。それは、敵が攻め込んだときに石垣の途中で落ちてしまうように90度以上の傾斜を付けてあり、そのカーブを取りながら、ややデフォルメに再現しています。また、鯱鉾や屋根の部分がカーブしているために一つ一つ手作業で造っており、根気が続かないと出来ないものであります。

 

製作者

製作で使った左官道具・他

かね尺、ボンド、アメリカ鏝、プラスティック鏝、四半鏝、水平器、目地鏝、プラスター用平ばけ、小ばけ、カンナ、カッター、木鏝、中首鏝(切、角、丸)、引き鏝、手作り鏝、のみ、波取り、お福柳刃、トメサライ、クリ鏝、元首丸グリ、ツマミ面取り、レール鏝、内丸・外丸面引き、元首ラオ面引、中首ラオ面引、鏝板、ちりほうき、墨つぼ・墨差し、レンガ鏝、鶴首ツウジ鏝、ラス切りばさみ、ノコ、水性ペンキ、電動カッター、電動サンダー